



お互いを支えてきた、強い同胞愛と寄付の習慣
1900年前後に身ひとつでヨーロッパやロシアからアメリカに逃れてきたユダヤ人達は、同胞同士助け合わねば生き延びれなかった。彼らの多くは服の繕いなど元手なしにできる商売や、くず鉄収集などをして生計を立て、子供達にはできる限りの教育を与えた。身についた教育は他人に略奪されることはないからである。そうやって成長した子供達が、例えば、医者の資格をとっても病院に就職の門戸が開かれていなければ、自分たちで病院を建ててしまう実行力と同胞の寄付金による協力があった。同胞愛の強さと寄付の習慣は彼らの特徴といえるだろう。特に寄付金は2000年の昔からのトーラ(律法書)に「汝の収入の10%を人々に分け与えよ」と記されており、収入の高低に関わらず、ユダヤ人は実によく寄付をする。ちなみにシカゴ美術館の大口寄付者の名前には、ロゼンタール、カッツ、シルバースタイン、ゴールドバーグ、ルヴィンなどユダヤ系の名が驚く程多い。『シカゴの顔を変えた』ディベロッパー
ところで、シカゴにおける不動産ビジネスで歴史に残る人物がいる。『シカゴの顔を変えた男』として知られるアーサー・ルブロフである。彼は12歳で社会に出、靴磨き、新聞売り、ボーリング場などで働いた後、不動産ビジネスに進出、1930年に数百ドルの資本で自分の会社を設立した。 ルブロフの手がけた事業は、町というより都市づくりといえるほど大規模だ。常に遠大なヴィジョンを持ち、その後60年間で何と全米一の大型商業店舗のディベロッパーとして成長したのである(www.rubloffusa.com)。 シカゴを中心に、サンフランシスコのショッピングセンター、ニューヨークの数多くの分譲住宅、マイアミの住宅兼商業店舗など数えきれない程の開発に関わったが、ルブロフが名付けた「マグニフィセントマイル開発プロジエクト」は最も有名なものである。1947年に第2次世界大戦後の景気回復のために計画されたものだが、ビルの高さをすべて統一、ふたつの通りを合体することにより道幅を広くし、中央に分離帯を兼ねた「アイランド」島のような広い緑地帯を設けた。結果として、美しく、見晴らしの良い商業店舗大通りを創りあげたのである。シカゴの中心地、ミシガン通り北部分にあるこの「マグニフィセントマイル」は、当時から50年以上が過ぎ、多少様相は変わったものの、いまだに世界や全米の有名商業店舗が続々と集積し、年間2,200万人の観光客で賑わっている(www.emporis.com) 。教育にも大きな貢献
また、教育貢献に深く関わったルブロフは、高校生の大学進学を助ける奨学金制度、学生の補助金制度、全米規模の学会開設やリサーチのための補助金制度を実行するホレシォ・アルガー・アソシエーションの審議会会長としても活躍した。「あなたが試みようと望む限りわれわれは喜んで助けよう」という趣旨で、ユダヤ系だけでなく、教育の向上を望むすべてのアメリカ人に門戸を開いている。教育を通してアメリカンドリームの夢をかなえる手助けをするわけだ。この貢献の他、ルブロフの寄付、寄贈はとてもここで書ききれるものではないが、私がしばしば赴くシカゴ美術館のルブロフ会議場は彼の寄贈のひとつで、芸術関係者になくてはならないスペースなのである。
コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。
89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。
Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。
アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。
シカゴ市在住。