




第2次大戦後のアメリカンドリーム
ランチハウスはアメリカが生み出した最も大衆的な家の様式といえよう。1945年の第2次世界大戦終結後、戦争から戻った多くの若者たちは家庭づくりを始め、一戸建て住宅の需要が爆発的に高まった。大手建築業者は、彼らに入手可能な価格の住宅供給を大量生産により可能にした。また、当時のテレビ、雑誌、映画などのマスメディアも、アメリカンドリームとしての「郊外の暮らし」神話を大々的に創り上げ、そのイメージの中心になったのが、ランチハウスだった。 そのリッチなイメージは、戦争から戻って、「さあ、これから新生活のスタート!」という若い世代に圧倒的な支持を受け、ランチハウスはたちまちのうちにロスアンジェルスからテキサス、フロリダからミシガンへと全米に広がって行った。大手土地開発業者による宅地開発もとめどもなく郊外へとのびていった。50年代以降のライフスタイルを一新
ランチハウスとは、もともと西部の牧場主の住宅をさす。50年代に、西部劇やカウボーイのイメージが、テレビ、雑誌、映画により大量に生産され、一般大衆に伝達されたことで、『西部』のイメージは神話として浸透、定着した。ランチハウススタイルを遡ると、バンガロースタイルとプレイリィスタイルに様式としての源流を見い出すことができるが、当時としては、これまでになかったイメージを強調して大多数の中流階級に供給したのである。その新しいイメージとは、「可能性、個人的、簡便さ、気楽さ、くつろぎ、自分の意志」といったものである(by Alan Hess Harry N. Abrams, Inc. 2004)。 具体的に言えば、「モダンでシンプルな自分たち家族だけの空間を創る・・・郊外での豊かな暮らし」ということだ。確かに、ランチハウスには斬新なライフスタイルを可能にするデザインが随所にみられる。裏庭でのバーベキューやプール遊び、車を置くゆったりしたスペースなど。外見の特徴としては、平屋(一階)建て、なだらかな勾配の屋根、左右非対称のデザイン、水平を強調したデザイン、広い内部空間、細部にはむき出しの木材の使用などでひなびた感じを出す、プールやパティオ、テラスなどを囲むU字型やL字型の配置、などがあげられるだろう。住宅の巨大化とともに衰退
しかし、70年代に入りランチスタイルは衰退した。彼らの子供世代にとっては、ランチハウスは「親が住んでいる古くさい家」であり、若い世代のライフスタイルも激変したのである。80年代に入り、住む人数に関係なく家のサイズは大きくなり、90年代では大手建築業者により、2階建てどころかロフトやら屋根裏部屋、地下室まで加えた巨大な住宅が供給された。シニア層の増加とともに再び脚光
ところが、現在、驚くべきことに、ランチハウスのリバイバルがみられるようになってきた。その最も大きな理由は、シニア世代の増加である。彼らは腰やらひざなどに負担のない、つまり階段のない家を望むのだ。アメリカ中古住宅マーケットでランチハウスが人気が高いのも、平屋であり、家の入り口への段差がなく、シニアにとって暮らしやすい、という理由などで納得できる。大手建築業者もシニアをターゲットにした新築住宅は、いまやランチスタイルが中心である。 50年代において、大量生産とマスメディアによりつくられ供給されたにせよ、これらランチハウススタイルは当時の大多数の人々の要望を反映したドリームハウスともいえるだろう。私にはランチハウスとアンディ・ウォーホールの絵(プリント)が、だぶってイメージとして見えてくるのだ。ランチハウスはアメリカのポップカルチャーのシンボルといっても言い過ぎではないと思う。
コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。
89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。
Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。
アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。
シカゴ市在住。