記者の目

2015/2/23

木賃アパートを“攻めの保存”

「萩荘」から最小複合文化施設「HAGISO」へ

 「谷根千」という言葉をご存知だろうか。谷中(東京都台東区)、根津、千駄木(いずれも東京区文京区)地区を指す通称で、山手線内部という都心部にありながら今も昭和の雰囲気がまちに色濃く残るエリアだ。有名な観光スポットこそないが、お寺や長らく続く商店などが点在し、まち歩きを楽しむ人たちの間でも人気が高い。  この谷中にある人気施設の1つが「HAGISO」である。木造2階建ての建物で、1階はカフェとギャラリー、イベントスペース、2階は美容室、アトリエ、設計事務所で構成されている。カフェは若い女性グループ、親子、男性グループなどさまざまな客でにぎわい、取材当日も行列ができていたほどの人気ぶりだ。しかしここ、もとは取り壊しが決まっていた築60年のアパートだったのである。

「HAGISO」外観
「HAGISO」外観
1階にある「HAGI CAFE」
1階にある「HAGI CAFE」
HAGI CAFEに隣接するギャラリー「HAGI ART」では、若いアーティスト作品を展示している。ゲストを招いてのトークや、パフォーマンスなどの企画も行なう
HAGI CAFEに隣接するギャラリー「HAGI ART」では、若いアーティスト作品を展示している。ゲストを招いてのトークや、パフォーマンスなどの企画も行なう
「ハギエンナーレ2012」で展示した作品の一つ。萩荘の壁に何万戸のビスを打ったもの(HAGI STUDIO提供)
「ハギエンナーレ2012」で展示した作品の一つ。萩荘の壁に何万戸のビスを打ったもの(HAGI STUDIO提供)
「人が住めなくなった場所だから、鳥に住んでもらおう」というコンセプトで部屋を作品に仕立てたもの(「ハギエンナーレ2012」作品より。HAGI STUDIO提供)
「人が住めなくなった場所だから、鳥に住んでもらおう」というコンセプトで部屋を作品に仕立てたもの(「ハギエンナーレ2012」作品より。HAGI STUDIO提供)
毎月発行している「HAGI PAPER」。表紙は2種類。その訳は…(下の写真へ)
毎月発行している「HAGI PAPER」。表紙は2種類。その訳は…(下の写真へ)
HAGI PAPER、片面はカフェのメニュー。持ち帰り自由のメニューとしてカフェで提供される。メニューのイラストは宮崎氏が描いている
HAGI PAPER、片面はカフェのメニュー。持ち帰り自由のメニューとしてカフェで提供される。メニューのイラストは宮崎氏が描いている
HAGI PAPERのもう一面は、萩荘から「HAGISO」に変わった経緯、HAGISOの紹介、HAGI ARTイベント予定などを掲載。店外にも置いて自由に持ち帰ってもらっている
HAGI PAPERのもう一面は、萩荘から「HAGISO」に変わった経緯、HAGISOの紹介、HAGI ARTイベント予定などを掲載。店外にも置いて自由に持ち帰ってもらっている
飲み物を飲みながら作品を鑑賞できる、贅沢な空間。作品の見学だけの訪問もウェルカムだそう
飲み物を飲みながら作品を鑑賞できる、贅沢な空間。作品の見学だけの訪問もウェルカムだそう

◆建築学科の学生が実験しながら住んでいた木賃アパート

 「もとは、風呂無し、トイレ共同という古い木賃アパート『萩荘』でした」と語るのは、萩荘再生における中心人物で、現在この建物を借り上げて「HAGISO」として運営する宮崎晃吉氏(HAGI STUDIO代表、一級建築士)だ。10年ほど前、4畳半・1畳半で構成される部屋が並ぶそのアパートは空き家となっていたが、それを見かけた東京芸大の建築学科の学生たちが、オーナーである宗林寺の住職に直談判し、入居。シェアハウス兼アトリエとして活用していた。「『何をしてもいいよ』と言ってくださったので、2部屋を抜いて1部屋にしたりと、ある意味“実験”しながら楽しんで生活していました」と話す宮崎氏も、そうした学生の一人だった。

 学生たちが長らく暮らしていく中で、2011年3月11日に東日本大震災が発生した。萩荘では特に損傷などは発生しなかったそうだが、老朽化が進んでいることなどから、住職は取り壊しを決断。住人たちにもそのことが告げられた。

 事情を聴いた学生たちは、そうした事情なら仕方が無いと理解したが、退去に際してあるお願いを住職にした。


◆「萩荘」の葬式に1,500人が来場

 そのお願いとは、「葬式の実施」。

 「数年前に、地元の銭湯が廃業、取り壊されたのです。歴史のある建物に対し、何もできないまま壊されていったことが、非常に寂しく、悲しかった。萩荘が取り壊されるというのは仕方がないと思ったが、せめて明るく弔ってあげようと、イベントを企画したのです」(同氏)。

 住職の同意を得た宮崎氏らは、住んでいた学生や、そこに入り浸っていた仲間と共に、萩荘自体を作品にするため、床を抜いたり、壁にビスを何万個も挿して作品としたり、オブジェを装飾したり、鳥が住む空間を形成したり…と趣向を凝らし、葬送イベント「ハギエンナーレ2012」を開催した。

 すると、開催期間3週間のこのイベントに、約1,500人が集まったのである。「この光景を目にした住職は、『これだけの若い人が集まる場所を取り壊してしまうのはもったいない』と思ってくれたようです。私もこの建物を残していただけるよう、暗に説得する方向に回りました(笑)」(同氏)。


◆「この場所の魅力を知る人間が運営すべき」

 葬送イベントの数日後、宮崎氏はリノベーションして再生する案について、事業計画書を作成し、住職のもとを訪れた。リノベーション提案では、以前の家賃収入の倍の収入を設定。A工事と言われる耐震補強や配管刷新などにかかる費用を5年で回収する試算を示した。

 宮崎氏の心境にも変化が訪れた。「当初、私は設計だけ担当するつもりでした。しかしこの場所の魅力を知る人間ではない人に運営を任せて、この場所らしいことが実現できるのか、という疑問が湧いてきたのです」(同氏)。

 そこで、宮崎氏は萩荘を借り上げ、運営することを決断。住職もその案を了承した。


◆地域の文化的な役割を担う“最小複合文化施設”

 こうして2013年3月に新生HAGISOが誕生した。1階はカフェ、ギャラリー、多目的ルーム(レンタルスペース)、2階は設計事務所、パートナーが創作活動を手掛けるアトリエ、美容室で構成されている。

 カフェとギャラリーは融合していて、隣接するエリアでは、若いアーティストの企画展示を行なっている。なお、作品展示に限らず、パフォーマーによるパフォーマンス実施や音楽・読み聞かせイベントなど、年間を通じて多種多様なアートを楽しめるような企画が行なわれている。「企画については、私自身がアンテナを張り、積極的に情報収集しています。基本的な収益はカフェであげていて、ギャラリーは若いアーティストにとって何らかのチャンスになればとの思いがあります」(同氏)。

 宮崎氏は「HAGISO」を、“最小複合文化施設”と捉えている。「規模の大きい公共施設、商業施設はすでに多数存在している。そういう施設の存在意義もあるが、そればかりではつまらない。逆に小さいスケールで、文化的な役割を担えるものがあってもいいのではないか、それをつくりたいと思っているのです」(同氏)。

 次々とイベントを打ち出し、常に人を集める。「HAGISO」の存在意義をそこに見い出し、そのための仕掛けを次々と打ち出しているのである。


◆空き家を活用し、まちを「HOTEL」に

 オープンから約2年。HAGISOは地域にすっかり定着し、カフェの常連も増え、繰り返しイベントに参加してくれる人も少なくない。
 そんな宮崎氏が考える次の一手。それが、まちのHOTEL化だ。人気エリアの谷中にも、空き家は存在する。その空き家を宿泊施設として活用するというものだ。

 「『HAGISO』をハブのようにして、まち全体をホテルにしたいのです。例えば、チェックイン、朝食やランチの提供はHAGISOで。大浴場は銭湯を利用してもらい、夕食はまちのおいしい食事処を紹介する。自転車店でレンタサイクルしてまちを巡ってもらい、お土産はまちの商店で購入してもらう。大規模ホテルで楽しむことが、まちでできるわけです。しかもその方がずっと楽しいと思います。地域の経済的効果も期待できます」(同氏)。

 すでに第1号物件となる空き家のオーナーの承諾を得て、動き始めており、旅館業法の定めをどうクリアするか、頭を悩ませながらも、少しずつ歩みを進めている途中だ。

 宮崎氏は語る。「このエリアは人気があるため、活性化策が急務という場所ではありません。しかし、何もしなくて今の状態が保たれるかというと、それは違います。古い建物が壊され、新しい建物が供給されることが必ずしもまちの価値を高めることに繋がっていないことがある。逆に、“攻めの保存”を行なうことがまちの魅力向上につながる。そう思って取り組んでいます」(同氏)。(NO)

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