海外トピックス

2016/9/6

vol.305 断崖集落のコミュニティ:メサ・ベルデ

メサ・ベルデ国立公園 (Mesa Verde National Park) クリフパレス全景(コロラド州)
メサ・ベルデ国立公園 (Mesa Verde National Park) クリフパレス全景(コロラド州)
遺跡保存のため、現在はフォレストレンジャーによるツアーのみが行なわれている
遺跡保存のため、現在はフォレストレンジャーによるツアーのみが行なわれている
12世紀頃この台地に住み着いた人々の崖下の住居である。限りあるスペースの有効利用が観察できる
12世紀頃この台地に住み着いた人々の崖下の住居である。限りあるスペースの有効利用が観察できる
恐怖の梯子のぼり。垂直に切り立った崖を300段余りのぼりつめる
恐怖の梯子のぼり。垂直に切り立った崖を300段余りのぼりつめる
先住民は梯子を使わずにわずかな手がかりを伝って日常上り下りしたというが…
先住民は梯子を使わずにわずかな手がかりを伝って日常上り下りしたというが…
左下がキヴァ。天井はふさがれて床(地面)と同じ高さになっているが、木の梯子の先端が見える
左下がキヴァ。天井はふさがれて床(地面)と同じ高さになっているが、木の梯子の先端が見える
天井を取り除いたキヴァ。コミュニティの集会場。円形で、内部は象徴的な形態だったのであろう
天井を取り除いたキヴァ。コミュニティの集会場。円形で、内部は象徴的な形態だったのであろう

 「アメリカは新しい国」としばしば述べてきたが、必ずしもそうとばかりは言い切れない。なぜなら紀元前1200年にはすでに北アメリカ大陸の南西地域に人が住んでおり、スペイン人による侵略やヨーロッパから大量の入植が起きる以前の長期間に渡って独自の文化が北アメリカに存在していた事実を恥ずかしながら見逃していたのである。

 機会があって、コロラド州のメサ・ベルデ国立公園(Mesa Verde National Park) を訪れたが、12~13世紀頃に崖に造られた土の集落が散らばって現存し、当時の人々の暮らしや農耕文化を彷彿させる素晴らしい住居遺跡を間近に眺められた。

台地の下の岸壁で、文化的な生活

 メサ・ベルデとは、スペイン語で「緑の台地」。

 先住民達は台地でとうもろこし、豆、かぼちゃなど作り、敵の襲来を防ぐために台地の下の岸壁に設営した住居で共同体を形成して生活した。子育て、料理、弓矢やナイフなどの道具作り、修理、陶器や生活用具の制作などが崖下の広場で行なわれた。

 ユッカという鋭い葉先の植物が群生しているが、その繊維で編んだバスケットやサンダルがメサ・ベルデ国立公園内の博物館に展示されている。動物の骨で作った針も博物館で見かけたが、ユッカの繊維を糸として縫い物もしたのだろう。

 しかし、博物館では鉄や青銅など金属の道具類は見かけず、ハンマーやナイフ、杓子は石や土や動物の骨で作ってあった。

 台地からの地下水を利用し泥を使って染色も行なわれたようだし、他の部族との交易も行なわれ、石器社会であっても現代人が想像する以上に洗練された文化を持つ共同体だったのではないかと想像する。

ワンルームからマンションまで。地形を生かした住居形態

 ルーズベルト大統領によって国立公園に指定されたメサ・ベルデは、211平方キロメートルに及ぶ集落遺跡で、世界遺産 (UNESCO World Heritage Sites) にも登録されている。大阪市(222平方キロメートル)やさいたま市(217.49平方キロメートル)より小振りな面積の国立公園。
4,000箇所もの発掘遺跡があるが、まだ手をつけていない場所も多く残されている。
 「クリフパレス」とよばれる集落遺跡では150室の住居が発掘され、修復、保存がなされている。ワンルームから幾つかの続き部屋、なかには4階建のマンション(?)も見受けられる。標準の間取りはなくて建てられる崖下の広さや可能な高さに応じて壁を石や泥、干ぼしレンガで築いてゆく工法がとられた。

 23ヵ所ある「キヴァ」は広くて丸いスペースの竪穴式住居で、共同体の集会場として使われた。地面を人が立てる位の深さに掘り、天井を木材と土で塞ぐ。中で神聖な儀式を行ったり、冬は焚き火をして皆で暖をとったらしく、煙の跡と排気口が残る。地面と同じ高さの天井の中心にはごく小さな穴が開けてあり、木を組んだはしごで出入りをしたようだ。

危険とともにある日常生活

 クリフパレスからやや離れた集落遺跡の「バルコニーハウス」では垂直に切り立つ岸壁を木の梯子でよじ登る体験をしたのだが、フォレストレンジャーの勧告に従ってかなりの人がその冒険を棄権した。若く元気な人々に混じり異色な筆者は怯えつつも揺れる梯子を一段一段と必死の思いで300段余りも登りつめ、狭いトンネルを這って息絶え絶えの思いで台地へ。

 崖のはるか下には人骨が現在でも沢山発掘されるそうだが、大半は骨折した跡があるそう。当時は梯子はなく、崖に掘りこんだ5cm位のへこみ(その跡も残っている)を伝って上り下りしたのだから、岸壁から落下し負傷したのは容易に想像できる。獲物や収穫した野菜や幼児を背負っての上り下りは日常とは言え、何という危険な行為であったことか。

突然消滅した先住民。理由は今でも謎

 歴史的には1世紀ごろから北アメリカのアリゾナ州、ユタ州、コロラド州、ニューメキシコ州広範にアナサジ族 (プエブロの先祖、The Ancestral Puebloan) が住み、その後プエブロ族が住みついた。

 「プエブロ」とは、その地域のインディアンの集落及びそこに住むインディアン達をも含む名称で、現在35,000人が残存していると言われる。

 サウスウェスト地域の陶芸品やバスケットは力強く精緻で美しい。

 さて、範囲を絞ってここメサ・ベルデの先住民は12世紀から13世紀にかけてのみ、およそ5世代に渡って(フォレストレンジャーによると平均寿命は成人男性で35歳)コロラド州南西部区域に住んだのだが、突然消滅してしまった。友人でプエブロ文化専攻の考古学者によれば、数年続いた日照りでひどい飢饉になり、動物も人間も飢えて死んだのではないかと推察する。

 フォレストレンジャーは「戦いのあとも侵略された形跡もなく未だに謎。」と言う。「政治的、宗教的な亀裂が共同体の中であったのかもしれないが、人々は外部へ希望と機会を見出して我がふるさとメサ・ベルデを離れたのかもしれない…」と、ナショナルパークアソシエーション。
答えは未だに出ていない。


参考資料
Lister, Robert H. and Lister, Florence C. Those Who Came Before. Tucson, Arizona :Southwest Parks and Monuments Association1993.
en.wikipedia.org/wiki/Mesa_Verde_National_Park
National Park Foundation


Akemi Cohn
jackemi@rcn.com
www.akemistudio.com
www.akeminakanocohn.blogspot.com

明美コーン

コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。 89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。 Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。 アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。 シカゴ市在住。

新着ムック本のご紹介

ハザードマップ活用 基礎知識

不動産会社が知っておくべき ハザードマップ活用 基礎知識
お客さまへの「安心」「安全」の提供に役立てよう! 900円+税(送料サービス)

2020年8月28日の宅建業法改正に合わせ情報を追加
ご購入はこちら
NEW

月刊不動産流通

月刊不動産流通 月刊誌 2024年5月号
住宅確保要配慮者を支援しつつオーナーにも配慮するには?
ご購入はこちら

ピックアップ書籍

ムックハザードマップ活用 基礎知識

自然災害に備え、いま必読の一冊!

価格: 990円(税込み・送料サービス)

お知らせ

2024/4/5

「月刊不動産流通2024年5月号」発売開始!

月刊不動産流通2024年5月号」の発売を開始しました。

さまざまな事情を抱える人々が、安定的な生活を送るために、不動産事業者ができることとはなんでしょうか?今回の特集「『賃貸仲介・管理業の未来』Part 7 住宅弱者を支える 」では、部屋探しのみならず、日々の暮らしの支援まで取り組む事業者を紹介します。