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復興と、傷痕と

東日本大震災から1年、仙台近郊の被災地を歩く

 2012年3月11日、東日本大震災から1年が経過した。改めて、震災で亡くなられた皆さまのご冥福を心からお祈りするとともに、さらなる復興を応援したい。  間もなく震災から1年を迎えようという2月中旬、記者は『月刊不動産流通』の取材で宮城県を訪れていた。その内容は月刊不動産流通の5・6月号をご覧いただくとして、今回は、そのとき歩いた仙台駅周辺や、津波被害が大きかった仙台市宮城野区の仙台港近辺、名取市の仙台空港近辺の様子をレポートしていく。

仙台駅前の商店街には多くの人が行き交う
仙台各所では復興に向けたエールが掲げてある
「仙台トラストシティ」にある「みやぎ みらいプロジェクト」の募金BOX
「三井アウトレットパーク 仙台港」外観
中央ステージではイベントも開催され盛況
アウトレットから数分で、修復工事中の場所に
ポールがあらぬ方向へ曲がっている…
手前の敷地から出る配線は引きちぎられた跡が。少し先にはアウトレット観覧車が見える
「美田園」駅近くの平地。こういった土地がかなりある
「美田園」駅近くの仮設住宅。手作りの庇を付けている部屋も
屋根と躯体だけの住宅が修復中だった
「閖上さいかい市場」
地元の人を中心に盛況
店内にはエールメッセージも貼ってある
仙台空港駅で行なわれていた復興への軌跡を紹介する展示会
仙台空港。冠水していた滑走路はすっかりきれいになっていた

一見元気な「仙台」。 各所で復興に向けた取り組みが

 仙台駅界隈は、週末だったこともあり、活気づいていた。各地では、スローガンを掲げて営業している店舗も多く、東北最大都市として、まず自らが「元気でがんばろう」という意気込みを感じた。

 森トラストグループが運営する、仙台駅から徒歩9分に位置する複合施設「仙台トラストシティ」にも立ち寄った。同グループは12年1月、継続的な支援が必要とされる震災孤児・遺児の子供たちをサポートする企画「みやぎ みらいプロジェクト」を立ち上げている。同グループが運営する全国15ヵ所の施設において、子供たちの未来を支援する募金活動を行ない、一定額以上を寄付した募金者には桃色の白石和紙を贈呈するとのことだ。和紙をもらった募金者は、その場で折り鶴を折って渡す。そして、全国から集まった折り鶴は、3月1日より「仙台トラストシティ」にて「希望の桜」のモニュメントとして展示している。また、集まった寄附金は、宮城県の「東日本大震災みやぎこども育英基金」に全額寄附する予定だ。
 筆者が仙台トラストシティを訪れた際、入口近くのフラワーショップに募金BOXが設置されていた。店員さんによると、多くの人が立ち寄り、募金をしてくれているという。

賑わうアウトレットから数分。 津波被害が無残に残る

 さて、次は仙台駅からJR仙石線で約18分の「中野栄」駅から徒歩約8分に位置する「三井アウトレットパーク 仙台港」(仙台市宮城野区)。ちょうど週末だったこともあり、わりと多くの人で賑わっていた。しかし、隣接する住宅展示場への来場者は皆無に近い。車社会ということもあるが周囲には歩いている人がほぼいない状況だった。とはいえ、駅からの道のりも含め、現地までは建物や道路など、震災の影響を感じることはほぼなかった。

 ところが、しばらく仙台港方面まで歩いてみると、状況は一変する。修復工事の車が多く停車しており、仙台港公園や展示場「夢メッセみやぎ」はフェンスで封鎖されていた。瓦礫こそなくなっているが、そこはシャッターを切るのをためらうほど津波の傷痕が残っていた。

 「夢メッセみやぎ前」にあるポールはあらぬ方向にねじまがり、フェンス越しで見る公園内もあらゆるものがぐちゃぐちゃな状態。道路にあった何かの配線はものすごい力で引きちぎられた跡があり、タイルなどはめくれあがっている。松の木も一定方向に腰を折る形で曲がっていた。
 すぐ隣にあった東洋製罐(株)の工場は、一見正常に稼働しているように見えたが、敷地の整備などまだ復旧作業をしているのが見てとれた。

 その場所からふと見上げれば先ほどまでいたアウトレットの観覧車が見える。あそこでは楽しそうに買い物をしている家族連れ、カップルがたくさんいたのに、ほんの数分歩いたここでは数人の職人さんが黙々と復旧作業をしている。そのコントラストの違いに面食らう。
 しかし、これが被災地の現実なのだ。商業施設や工場では平常を取り戻すためにも、何とか営業していかなくてはならず、一方では修復を少しずつでも進めていく。当然ではあるが、その両輪があってこそ復興につながるのだと肌で感じた。

駅に降り立てば「一面茶色の平地」。 復旧が追いついていない場面が多数

 一般メディアでも多く報道されていたが、2月上旬に宮城県名取市美田園で個人商店が仮設店舗で営業する「閖上(ゆりあげ)さいかい市場」が立ち上がった。美田園の沿岸部にある閖上も津波被害は甚大だった。震災直後、縁あってここに住む方のブログを拝見していたこともあり、この商店街には是非とも行きたいと考えた。
 しかし、そのブログでご家族が津波に流され、日々遺体安置所に足を運んだり、半壊状態の家からは残ったモノが盗難にあってしまったり…、そういった話を読んでいたこともあり、向かう電車の中では緊張した。

 最寄りである仙台空港アクセス線「美田園」駅は高架駅。降りたとたん一帯が見渡せる。その直後頭に浮かんだのは「何もない」ということ…。正確には商業施設や住宅、マンションが皆無な訳ではない。しかし、それでも草が枯れ、茶色の何もない平地が異常なまでに続く。正直その景色だけで気が滅入りそうだった。

 歩き出すと駅前には仮設住宅が立ち並ぶ。想像以上に密集しており、隣同士も近い。掃き出し窓には手作りで庇が施されているものもあった。
 戸建ては補修がされているが、いまだほぼ屋根と躯体のみで中ががらんどうの住戸もある。業者不足で補修が追いついていないのがわかる。

賑わう復興商店街。 仙台空港界隈では続く復旧作業

 駅から徒歩11分ほどで着く「閖上さいかい市場」は、昼を過ぎていたにも関わらず賑わっていた。ほとんどの来場者が地元の人たちといった印象。また、水産関係の店舗が多かったが、土地のものは仕入れられないため、全国各地から仕入れて販売している状況だ。本来は水産業が有名なエリア、一刻も早く土地のものを販売したいだろう。

 同じく名取市にある仙台空港はすっかり平常に戻っていた。仙台空港駅前では、復興の様子を時系列で紹介した写真展示会を開催していたが、それを見ると当時の凄まじさが伝わってくる。冠水した敷地、瓦礫だらけの駅や空港、…。今では滑走路も建物もすっかり戻っている。そこには並々ならぬ努力があったはずで、その復旧の早さに感動した。しかし、近くではブルドーザーが瓦礫を処理するなど、いまだ工事が続いているのがわかる。

薄れゆく記憶のなか われわれができること

 新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど旧来のものはもちろん、SNSなどさまざまなメディア、ツールが発達したことにより、支援の幅は広がった。遠方からできることも多い。また、そのおかげで、現地を訪れなくても多くの情報を仕入れることができる。
 しかし、そんな情報社会でもやはり「百問は一見にしかず」で、その土地に行って、聞いて、歩かなければわからないこともたくさんあると改めて感じた。記者は昨年も仙台を訪れていたが、月日の経過でまた見えてくることも多くある。

 今回、月刊誌企画の座談会の中で、被災地不動産会社から、“震災後に感じた嬉しかったこと”の一つとして、「全国から宮城県のためにボランティアに来ていただいて感動した」「モノはいらない。ボランティアの人たちがいっぱい来てくれたあの優しさ、ああいう気持ちがあれば十分」という話があった。また、「物欲が一切なくなった」とも。
 必要なのは「人の温かい思い」だけ。つまりは、被災地はもちろんだが、被災地外の人々の思いがなければ被災地の人々の復興に立ち向かうパワーも生まれないということだ。その方法は、必ずしもビジネスやボランティアだけではない。現地を訪れて、観光したり、食事をしたり、それこそ復興市場で買い物したり…、交流することが、現場で汗を流す人々の直接的なパワーにつながるはずだ。

 1年が過ぎ、今後、確実に人間は少しずつ記憶が薄れていく。そのなかでわれわれが仕事を通じてやるべきこと、個人としてできることを忘れてはいけないと改めて思う。復興への道のりはまだ始まったばかりだ。(umi)

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※この1年を振り返るという意味で、これまで「記者の目」に掲載してきた東日本大震災に関する記事を改めて一覧にしました。どうぞご覧ください。

東日本大震災、「管理会社の対応に“心”温まる」(2011/3/29)
高齢者の孤立化を防げ!(2011/4/4)
そのとき、まちが消えた(2011/4/11)
ペット同伴の温泉ツアーで被災者に笑顔(2011/6/3)
復元する力「レジリアンス」に富んだ社会づくりを(2011/6/10)
震災後のマンション、関心は「防災・被災時対応」へ(2011/6/17)
地震で割れた窓ガラス。修理か、改善工事か…(2011/6/24)
大震災対応事例に学ぶ(2011/7/8)
被災地“いわき”から、世界に向け情報を発信!(2011/9/22)
17年前に発生したアメリカ・ノースリッジ地震(2011/11/4)


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