自宅の敷地で学校を経営する夫婦
自分の庭うちに学校を建てた友人夫妻がいる。ビジネスとしても成功している様子。ニューイングランド地方バーモント州、森に囲まれ湖もすぐ近くで、隣は農場という閑静なポストミル村に30年近く住んでいるピパとジョージ夫妻の話である。 ジョージはジャズの音楽家で、ギターの製作も手がける。一方、ピパ(本名はヘレン)は画家。以前私の生徒だったピパから、ある日、「自分のアトリエを建てたので、そこで染色の講習会を開きたい。講師として来て欲しい」と依頼された。ピパは祖母の遺産で彼女自身のアトリエを建てたらしい。27年前にジョージがギター製作室を敷地内に建て、今でも生徒を集めてギター製作の集中講座を開いているが、ピパはギターの講習がない時期を狙って、自分のアトリエでも染色や絵画の講師を招き、講習会を開催したいと考えたわけである。昔ながらの職人もいる、アメリカ東部の田舎町
ボストン空港から3時間バスに乗り、アメリカ東部で最も古い大学、ダートマスカレッジでピパと再会を喜び合う。ピパの車に乗り込み、バーモント州ポストミル村へ。まわりは森に囲まれて青く静かな湖が目の前いっぱいに広がっている。 田舎道を曲がり、門から車を乗り入れると、広い邸内には建物がいくつか点在しているのが眺められる。植物は良く手入れされて花々は空気が澄んでいるのか、色鮮やかで活き活きしている。野菜畑もあるしブラックベリーの茂みが遥かに見える。 ピパの家から道路を隔てた向かい側に掘立小屋があった。山ほどの薪が小屋の屋根まで届くほど積み上げられ、煙突から煙が出ているので、「誰かの住居?」と聞いてみると、人の住む小屋ではなく、メープルシロップを煮つめる小屋だそうだ。見渡せば周囲にはシュガーメープル(かえで)が林立している。かえでの木の幹に管を通し、春には管から垂れる蜜を集め、薪で熾した火で何時間も煮つめてシロップにするのは昔ながらの手法。現在メープルシロップ作りの大半は工場で合理的に行なわれているが、いまだにこのように素朴な手法でシロップを作る職人がいるのには驚いた。生徒用の宿泊施設やキッチンも完備
敷地内はピパとジョージの住居の他、ピパのアトリエ、ジョージの製作室、工具室(教室)、そして寄宿舎が2棟。寄宿舎はそれぞれ1,000スクエァフィートもある。 住居の1階はコンサートを開くために吹き抜けの大広間になっていて、2階のバルコニーが張り出している。コンサート時には椅子を置いて1階2階合わせての観客席となる。 2階は生徒用のバストイレつきの部屋。大きな冷蔵庫やオーブンを備えた生徒用のキッチンもある。講習が3週間の長きにわたるから、外食するより自分で料理した方がはるかに安上がりというわけだ。生徒は各自食材を買って来てキッチンで料理する。 休み時間などには、近くのフェアリー湖で泳いだりヨット遊びも楽しめる。湖の周囲はジョギングや散歩をするなど気分転換に最適だ。居間にはTVや映画のDVD、数多くの本が置いてあり、授業の後のんびり寛げるような配慮がなされている。3ヵ月の集中講座で手作りのギターを製作
ジョージがギターの製作と指導を行なうために敷地内に建てた学校は、Vermont Instruments School of Lutherieという。一口に「ギター」と言っても工場での大量生産から、名人による手作りのものまで、価格もピンからキリ、製作過程も多様だ。 ジョージの場合、自分で“ローテック”と言うが、“ハイテック”の反対で、ひとつひとつ丁寧に手を使って仕上げるという意。 講習は6人以内、大勢だと目が届かないそうだ。3週間のコースで、生徒はギターの型紙を木に写して切るところから始め、ゆっくり丁寧に曲げて、特殊な糊で貼り、クランプで押さえて形を作り上げ、塗装、ネックをつけて自分のギターが完成する。月謝は3ヵ月の集中講座で宿泊代も含め、約35万円。独立して自分でギター製作をしたり、ギター修理のビジネスを始める生徒も少なくないそうだ。合理的なアメリカ人は趣味だけで終わらず、授業料を投資した分、実益を得る方法をあれこれ考えるのだろう。仕事をやりくりして、海外からも染色講座に…
染色の講習は、ピパの広いアトリエで他の州や海外からやってきた生徒8人が参加して5日間行なわれた。戸外にテントを設置してそこでペイントしたり布を乾かした。寄宿舎の広間で毎朝全員が集まってヨガで体調を整えてから朝食。夕食後は散歩したり、隣の農場へ手作りの山羊のチーズやもぎたてのとうもろこしを買いに行ったり…、また夜遅くまで連日制作を続けた。 生徒達は忙しいスケジュールをやり繰りして参加しているのだが、ここは日常の仕事から切り離された別天地。5日間の集中講座のあと、エネルギーをたっぷりと充電して戻って行った。 主催者側のピパもジョージもニューイングランド地方の名家出身だからか、おっとりして暖かい性格。広大な屋敷を多くの人々に公開し分かち合う「古き良きアメリカ人」の鷹揚さが至る所にうかがわれた。田舎なので固定資産税は決して高くはないし、自分達だけでやり繰りできる範囲に生徒数を限れば、ビジネスとして採算がとれるし、何よりも自由で楽しい!と夫妻はうれしそうに語ってくれた。<参考資料>
http://pippadrew.com
http://www.vermontinstruments.com
http://www.vermontinstruments.com
Akemi Nakano Cohn
jackemi@rcn.com
www.akemistudio.com
www.akeminakanocohn.blogspot.com
コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。
89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。
Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。
アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。
シカゴ市在住。