





日本へ旅をしたアメリカ人やヨーロッパ人の友人達が周囲に多いが、口をそろえて「日本は素晴らしい!」と誉めたたえるのでうれしくなる。彼らにとって日本はエキゾティックな国。人々は親切だし、「スシ」をはじめとして健康的な(彼らはそう信じている)食べ物にあふれている。特に日本は安全(これは本当)!と強調する。
近頃はヨーロッパ、中近東、南アメリカなどテロや内戦に出くわす危険が多いせいか、「安全な日本」は観光客を惹きつける。増える外国人観光客のためにホテルや旅館に加え、一般の家やマンションの空き部屋を宿泊場所として提供する「民泊」がいま大きな話題を呼んでいる。
政府の意向で、日本でも一気に規制緩和
日本で民泊の規制を緩める政府原案についての記事が掲載されていた(日本経済新聞5/13 & 5/20付)が、これまで旅館業法上の規制を受けていた民泊が、新制度では誰でも民泊ビジネスに参入しやすいよう、例えば住宅地での営業の容認など、規制を大幅に変える方針らしい。オリンピックをめざして訪日客を4000万人に増やそうと、政府の意気込みはわからないでもないが、民泊ビジネスに関してはまだ産声をあげたばかりだ。
一方、西欧やアメリカで民泊は盛んに使われており、エアービーアンドビー(Airbnb)は代表的な民泊宿泊案内ネット。ユーザーはネットでまず地域と場所を検索。民泊サイトがいくつか出てくるので、予算や部屋のタイプなどを吟味し、さらに掲載されている評価やコメントを参考にしながら対象を絞ってゆく。
現地の人々との触れ合いも「民泊」の良さ
友人のフェギィはエアービーアンドビーでパリにアパートを借り、2週間滞在した。最終的に決めるまでに何箇所か候補を選び、所有者とメールでやりとり。納得するまでかなりの時間と手間をかけたという。そのアパートを基地として電車でパリ郊外へ小遠足を楽しんだ。
カナダ人のビブは同様にエアービーアンドビーでシカゴの街中に宿を探し1週間滞在した。幾部屋かを民泊としてオーナーが貸し出している個人の住宅であった。都心で便利な場所のうえ、キッチンが使え、ホテルよりはるかに経済的だったそう。
ジュリーは家族でスペインのバルセロナにタウンハウスの民泊を借りた。市場で野菜や果物を買ったり、大学でスペイン語を勉強中のジュリーの娘は地元の若者達とおしゃべりしたり、観光客が少ない村を訪れ古い教会に感激したり…。
民泊はホテル住まいより地元の人々と触れ合う機会も多い。
貸す側、借りる側への十分な説明が不可欠
観光旅行や団体ツアーに加え、旅が多様化する傾向が見受けられる中、日本でも民泊はその受け皿となろう。
子供達が成長し家を離れ、空いている部屋があれば、おもてなしの心で文化交流をしたい人がいるかもしれない。マンションの空き部屋対策や、短期リースの利用など民泊をビジネスとしてとらえる不動産関連業者もいるかもしれない。
どこから手をつけるか?現在民泊を始めるにあたっては、法規制が変わってきている事もあり、貸す側、利用する側双方に向けた説明会が必要となろう。
宿泊料金、キャンセルや鍵の受け渡し、チェックイン&アウトの時間など、両者(貸す側と借りる側)で事前に了解するための日本語と英語の契約書をどのように作成するか。こんなはずではなかったとあとで後悔するよりも、最初に詳細を取り決めて了解し合うことが重要だ。そうすれば宿泊者が夜遅くまで騒いだり、宿泊人数が勝手に増えたり、土足で畳にあがったりの困った外国人客に対して貸す側は対処できよう。
民泊開始にあたって、運営や仲介・管理をする事業者が説明会を開いてはどうであろうか。
中途半端な「おもてなし」は外国人には通じない
ビジネス重視にしてもボランティア活動重視にしても、民泊では、「おもてなしの心」で接しよう、という声を聞く。それは大切なことであるし、日本の美点でもある。日本のおもてなしを外国人と分かち合うのは素晴らしいが、中途半端な「おもてなし」は外国人には伝わりにくい。
「同じ人間だからわかりあえるだろう」と期待しても、日本人同士では通じても、文化も習慣も違う外国人には「腹を読む」など高度な伝達手段同様通じないし、察して欲しい、と望むのは無理。そのさじ加減が難しい。
学校で習う英語ではなく、単純な会話を使い、はっきりイエスとノーを言うよう心がけたらどうだろうか。外国人にしてみたら、日本に来る以上は日本の文化や伝統について多少は調べてきているにしても、異文化に実際触れる機会が多い民泊経験は素晴らしい思い出として残るに違いない。
こちら日本人の側も学びつつ民泊を定着させたいものだ。
Akemi Nakano Cohn
jackemi@rcn.com
www.akemistudio.com
www.akeminakanocohn.blogspot.com

コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。
89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。
Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。
アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。
シカゴ市在住。