建築費の1%をアートに使うというルール
最近、書店でムーミンや、フィンランドの本を見かけることが多くなったと感じたことはないだろうか。今年はムーミンの作者であるトーベ・ヤンソン生誕100周年ということもあり、ムーミン絡みのイベントが全国で開催中。オーロラや白夜人気もあり、フィンランドへの日本人渡航者数も急増。7月の渡航者数にいたっては、2012年から13年でなんと46.5%増(フィンランド政府観光局調べ)。 ロシアからの独立を宣言してまだ100年弱というのに、現在のフィンランドは、モダンで都会的な国際観光都市の地位を確立している。 移り変わる建築文化の厚みや美しいデザインが世界中の人々を魅了し観光客を集めているフィンランド。同地リピーターの筆者が、ようやく訪れることができたヘルシンキ誕生の地、オールド・ヘルシンキ~アラビアンランタ地区を、写真とともに紹介したい。














まずは、フィンランドの歴史をざっくりと。
フィンランドの首都ヘルシンキが誕生したのは1550年。以降フィンランドは、スウェーデンやロシアに支配された時代(1700年代~1800年代)を経て、1917年にロシアからの独立を宣言し、その2年後に共和国として誕生した。52年に、夏季オリンピックがヘルシンキで開催されたのは記憶の新しいところだろう。
ヘルシンキ誕生の地、オールドヘルシンキ
その1550年にヘルシンキが建設された場所こそが、水運に恵まれたオールド・ヘルシンキ。
白樺林に囲まれたポルナイステンニエミ・ネイチャートレイル(PORNAISTENNIEMI NATURE TRAIL)やバードウォッチングができる見晴台があり、自然を堪能できる憩いの場となっている。
ヘルシンキ市の中心地から車で僅か15分。「森と湖の国、フィンランド」らしい景色を堪能できる歴史のある場所なのだ。近くには「アラビアファクトリー&ショップ」がある。
世界的に有名な陶器メーカーがあるアラビアンランタ地区
そして、旅行者に人気のエリアといえば、やはり市の中心部。
マリメッコやイッタラ、アラビアなどのブランドショップが並ぶエスプラナーディ通りはテレビや雑誌でも多く紹介されているブランド通りとしても有名だ。だが、アラビアファンにとっては、たとえ市心から離れていても、アウトレットショップが併設された「アラビアファクトリー&ショップ」は外せないようで、トラムで終点まで乗車して、アラビアンランタ地区にあるこの工場兼ショップまで足を運んでいる。日本人も多く訪れる観光地の一つでもあるのがうかがえる。
そのアラビアンランタ地区と、オールド・ヘルシンキ、そして90年代半ばからの開発地区であるヴィッキー地区。このエリア一帯では長い年月をかけて、再開発が進行中だ。
Art&Design city をコンセプトに開発
アラビアンランタ地区は、かつて工場や倉庫が並んでいたエリアだが2000年からアート&デザインシティをコンセプトに再開発が進められ、工業デザインセンターやヘルシンキ芸術大学(現・アアルト大学芸術デザイン建築学部)や建築家設計の集合住宅へと生まれ変わっていた。
オールドヘルシンキの遊歩道から少し内陸に入り込んだ列島のような地形の湾岸沿いを、歩いてみた。
ウォーターフロントに建ち並ぶ集合住宅は、高さも建物外観も統一され、近くの自然遊歩道や森の存在と合わせて絵に描いたような美しさだった。
建物にはアートのアクセントがつき、そのデザインもオブジェも無駄がなく、建物に調和している。何気ないオブジェ一つひとつが、意味のあるアート。
自然(湖)とデザインというフィンランドらしい光景が広がる貴重な場所だ。
暖色系の明かりが、室内で輝く
冬が長く、時にマイナス20度、30度となるフィンランドでは、家の中で豊かな時間を過ごすために、キャンドルや間接照明を大切にする。そして、やたらと甘い(!)スィーツとコーヒーで友人知人を家に招き、心地よいソファで会話を楽しむ(だからフィンランドの珈琲消費量は世界一なのだ)。
だからこそ、毎日を長い時間過ごす室内のデザインにこだわりつつも、スタイリッシュでありながら長時間座っていても疲れないような機能的なソファや、暗闇に映えるキャンドルや間接照明などを集め、「機能的で魅せるインテリア」を自然と追求するようになったのだろう。
すべては、家を楽しむ、という思いから。
また、日本ならば、室内を「隠す」ためのカーテンが、この集合住宅のどの部屋にも、つけられていなかった。
ポップなカラーの家具がテラスから見え、(テラスにさりげなく置かれた家具もまた洒落ていた)外からでも家具を楽しむ文化がうかがい知れる。
建築費の1~2%をデザインに
面白いのが、開発エリアに建築される建物は、建設費の1~2%をアート(美術またはデザイン)に使うというルールの下に建てられているという点だ。中庭や建物内にある数百もの作品が、その成果だ。
土地の所有者はヘルシンキ市のため、建設組織の運営もヘルシンキ市となっている。よって公共性の高さが契約条件。
斬新で革新的なアイディアを持って、建設計画を提案し、開発が進められてきたという。
従ってこのエリアには自然発生的にデザイナーが集まるようになり、エリア全体がデザイナー地区となった、ということらしい。
デザインを愛する人が、デザインを愛しながら暮らしているうちに、デザインシティができた、というわけだ。
美しい自然あふれるヘルシンキ誕生の地が、人々のリクリエーションと憩いの場となり、近くにはフィンランドを世界に広めた「デザイン」を推進するまちが誕生した。
まちはまるで大胆な現代建築のショーケースのよう。これまで見てきたどのショールームよりも、圧倒的に洗練されている。
ヘルシンキに行く機会があれば、少しだけ足を延ばして、ぜひこのアラビアンランタ~オールドヘルシンキエリアに足を運んでみることを勧めたい。
今回は取材できなかったが、ヘルシンキ市が所有する市民農園、家庭菜園、薬草園、染料植物園などテーマの異なるさまざまな庭園があるアンナラ庭園や、アクティブシニアのための建築家キルスティ・シヴェンと住民らが共同設計したフラットなど、コミュニティライフを形にした施設などを見学することもできる。
デザインのアクセントが、ごくごく自然に、生活の中にあるヘルシンキの人々の暮らし方。
見習うべき部分がたくさんありそうだ。自然と共存する、前向きな生き方も。(Y)