





道路は鉄板。市も熱波対策に躍起
暑い!43℃となると歩道は熱い鉄板そのもので、散歩中、犬の足はやけどしそう。緑の芝生は黄色く変色してしまった。 シカゴ市では、ラジオ、TVで「一人暮らしのシニアや病気の隣人は大丈夫かどうか、気を配るように」と頻繁に呼びかけている。エアコンのない低所得区域には、コミュニティサービスセンターを“クーリング・センター” として6ヵ所に設置。朝8時半から夕方5時まで過ごすことができ、応急の医療施設も揃っている。さらに図書館、消防署、警察などの公的機関を人々に開放し、そこで涼を得るようにと多くの報道媒体を通して大々的に呼びかけている(www.cityofchicago.org) 。 シカゴ市では、1995年の熱波で700余人の死者を出した苦い経験から、今回の熱波に対しては早めに手を打っているようだ。嵐も到来。激しい気候変動はやはり温室効果ガスの影響?
熱波は突然嵐を伴う。5月22日のニューヨークタイムズ紙レスリー・カウフマン氏の記事によると、大気中の温室効果ガスの数量は簡単には測れないにしても、そのために熱が放出されず、ガスが地表に滞留して気温を上昇させており、その現象と海面が上がってきていることを関連づける科学者達も少なくない。結果として、近い将来、嵐や竜巻、熱波、猛吹雪などの極端で激しい天気が多くなるだろう、と説明している。 6月に本コーナーでレポートした「熱波襲来」のニュース(vol.181) は、未来に起きると予想される内容だったのだが、まさかこんなに早く熱波と嵐がやってくるとは! シカゴ市では、すでにこういった激しい天気を引き起こす原因と考えられる温暖化に対して準備を進めてはいるのだが、当然ながら予算も時間もかかり、まだ備えは決して万全とは言えない。停電で道路閉鎖、電車もストップし、都市機能はマヒ状態
熱波と嵐がコンビで波状攻撃した7月初めには、数日間の停電により操業できないスーパーマーケットや魚屋、レストランなどは数えきれないほど。真っ暗闇でクーラーも止まり、ホテルへ避難せざるを得ない人々もいた。被害は大変な数にのぼっている。 そして7月22日に続いて23日早朝、再び鉄砲水が襲いかかった。厳密には「鉄砲水」ではないのだが、その雨脚の激しさは驚くべきものだった。2時間のうちに稲妻や雷を伴う20cmもの降雨で、ほとんどの高速道路は閉鎖。飛行場へ行く電車も止まり、100便ものフライトがキャンセルとなった。コムエディソン電気会社は緊急事態として350人のクルーが復旧を目指して対処したが、シカゴ市及び近郊でなんと7万4,000所帯が停電となった。日本人の連帯感とは異なり、アメリカ人はまず個人の備えから…
日本の地震や津波の災害を通して、アメリカ人は日本人の我慢強さや協力する心構えに強い感銘を受けている。「みんな大変なんだよね。」と互いを思いやる気持ちが、家族、コミュニティ、さらには日本人同士に生まれ、連帯感が強まっている、と日本の友人達から聞いている。 アメリカではどうかと考えると、10年前におきた9.11のテロ事件では、人と人との連帯感が強まるどころか疑心暗鬼になり、不安感がさらに強まったような気がする。熱波の襲来に対しても、まず、個人で備える。例えば、熱を和らげる建材で屋根を覆ったり、広く大きな窓ガラスにはグレイのうすい膜をガラス全面に貼付けたりして熱が室内に入るのを防ぐ工夫をする。もしもの停電を考慮してジェネレーター(発電機)を買っておく。浸水には除湿器や吸水機械を用意、など。暑さ対策にメディアも注意を呼び掛けるが…
自分の身は自分で守る、という考えが根底にあるからだろうか。アメリカという国が大き過ぎるのか、もともと根の違う民族が集まってできた国家だからか…。 多くのスポーツの始めには国歌が歌われ、国旗が掲揚されるが、アメリカ人としての連帯感をことさら強調しているようだ。そうしないとアメリカ人はひとつにはまとまらないのかもしれない。 この熱波は中西部から東部まで全米の半分以上を広く覆い、しかもしばらく居座るという天気予報で、全米公共放送ラジオによると、“行動をスローダウンする。身体にゆったりする衣服を身にまとう。たくさんの水を飲む。アルコールやカフェインの強い飲み物は避ける。エアコンのある場所を選ぶ。日光を避ける” などの注意が必要だそうだ。親に注意されたときのように「は~い。わかってますよ~」とうなずくほかはない。 言う事を素直に聞く人、無視する人、さまざまだ。熱波対策はあくまでも個人の選択にまかされる。
Akemi Nakano Cohn
jackemi@rcn.com
www.akemistudio.com
www.akeminakanocohn.blogspot.com

コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。
89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。
Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。
アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。
シカゴ市在住。