






ハワイのホノルルにある「てまり」は、工芸教室やレクチャー、イベントを通して文化の架け橋となっている組織である。TEMARI Center for Asian and Pacific Arts が正式な名称で、手作りで丸く地球のよう、そして糸が途切れる事なく巻かれていくように、限りない可能性を将来に広げてゆきたい、との願いをこめて「てまり」と名付けられた。
ハワイを発信地点として、アジアの国々の伝統および現代的なアートや染織を主体に紹介。さらに、橋をかけるだけでなく、参加者が得た知識や技術をそれぞれの国々で共有して発展させてゆく点に「てまり」の特色がある。
ガレージから始まった伝統工芸教室
「てまり」は35年前に二人のアーティスト及び美術教師(Ann Asakura & Reynold Chow) により設立された。最初のクラスはガレージで行なわれたという。
その後、海外から工芸作家や学者を招待するための助成金を州や地方自治体、個人による寄付などから得て、フィリピンから細い竹の葉で作るバスケット、アラスカから珍しい織り、台湾から儀式での特異なロープの結び方、シアトルから松葉で作るバスケットなど、さまざまな国の伝統工芸を紹介してきた。
日本からも鯉のぼりや江戸小紋などの染め、組み紐、水引、墨流し、和本、折り紙、刺繍、藍染など、工芸家を招待してハワイの人々に紹介している。
非営利団体なので、多くの人々の善意が稼働力となる。例えば、長い間会員だったジュディ・ライトさんの寄贈は再び工芸家を招待する基金となった。
京都で開催された「和紙会議」をきっかけに新たな交流
1983年、世界各国から手漉き紙の工芸家達を招き「てまり」が中心となって和紙会議を京都で開催。展覧会も開かれ、反響を呼んだ。エジプトのパビルスメーキング、トルコのマーブリング(大理石模様を和紙に描く技法)などの珍しい和紙作り、そしてハワイ側でカパ作りを紹介した。
ハワイ周辺にはカパという伝統工芸技術があり(他の区域ではタパとも呼ぶ)、樹皮で作られた不織布で、ポリネシア全域で身にまとったり暮らしの生活必需品だったが、現在では失われた伝統工芸。工程は日本の和紙作りと似ていて、木から皮を剥いで、水にさらし柔らかくする。樹皮の内側を使うので、まず表側を削りとってから、棒でたたいて樹皮を和らげ広げてた後、乾燥させる。植物染料で模様を押したカパも博物館に多く残っている。紡いだり織ったりしないが大変な手間がかかる。
木を植え切り取り、昔の工法そのままにカパ作りを継承しているモアナさんが和紙会議で紹介されたが、彼女の伝統を守る姿勢に感銘を受けた日本の紙すき工芸家、藤森洋一氏がいた。
日本・ハワイ間で奨学金制度も設立
藤森氏をハワイの「手まり」ワークショップに招いた際、ハワイと日本の工芸家を招待し合って技術交換をしたらどうか、というアイディアが藤森夫妻から出た。その後フジモリペーパーメィキング奨学金を設立した藤森氏は、毎年8月に1週間、「てまり」が選んだハワイの工芸家を四国の自分の工房に招いて研修させた。自費でハワイから参加した工芸家も何人もいたという。
四国の藤森宅で研修したモアナは「いろいろなことを教わり、暑いので宿舎のそばで、小川のせせらぎをきいたり身振り手まねでおしゃべりしたり、何よりも浴衣を着ての阿波踊りが楽しかった!」とアンに話す。
参加したアーティスト達は沢山の写真を携えてハワイにもどり、「手まり」で彼らの紙漉き体験を楽しくも珍しい日本での話と共に共有し合ったという。「手まり」側からもハワイへ日本の工芸家達を招いた。
奨学金制度は1985年から90年まで続いたと、アン・アサクラさんの話である。
イベントごとに教室や会場を設置
以前はスペースを借り、そこで工芸教室や講義、デモンストレーションを行なってきたが、場所を借りるための費用を月々一定額捻出するためにはしっかりプログラムを組み、生徒も集めなければならない。受付体制も必要だ。高額な保険もかけなくてはならない。現在「てまり」は、教室としての特定の場所は持たず、イベントに応じて各地で場所を借り、借り賃を払う流動的なやり方に変えた。オフィス業務のみ、エキゼクティブディレクターのアン・アサクラのスタジオで行なうが、「ホームレスよ。」とアンは笑う。
例えば、ホノルル・ミュジアム・オブ・アート (Honolulu Museum of Art) やリヨン植物園(Lyon Arboretum) でプログラムを開催する場合、これらの組織に幾らかは払うが、決まった場所を借りていた時よりはるかに経済的だそうだ。そのうえイベントの広告を打ったり、事務も代行してもらえる。
「てまり」は15年10月に日本カルチュラル・センター・ オブ・ハワイでトラッシュ&トレジャア・フェアを行ない、11月にはハワイ島で「ハンド・イン・ハンド」と名付けられたイベントも開催する。展覧会と共にデモンストレーションその他のイベントもハワイ ジャパニーズ・センターと協賛して行うという。
パーティーを楽しみながら相互に論評
アロハパーティは楽しい!
授業終了後の、招待作家と生徒達とのさよならパーティは、気楽な雰囲気の中で講評も兼ねて行なわれる。エキゼクティブディレクターのアンの自宅で生徒達が一品ずつ料理を持ち寄ってのパーティーが恒例。講評で遠慮なく感想を言い合うのもよい刺激である。意外な点を指摘され「なーるほど!」と作品を見直し、納得することも多い。招待作家に作品制作について話しをあれこれきくよい機会でもある。
シカゴでは皆忙しく、こうしたパーティを開くのは難しいが、ハワイの温かくのんびりした風土か…、人々は実に鷹揚だ。「てまり」を中心にコミュニティとしてよくまとまってもいる。
しかし、パーティの顔ぶれを見てもわかるように、アンをはじめ役員会員達共に年齢が高くなり、今後は、若い人々を惹きつける広報活動も必要になってきた。新しいソーシャルネットワークメディアを使いこなせる若い人を雇うかな、とアンは考えている様子だ。
「架け橋」も、古くなると修理や取り替える箇所も出てきて、新しい工夫が必要になろう。
Akemi Nakano Cohn
jackemi@rcn.com
www.akemistudio.com
www.akeminakanocohn.blogspot.com

コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。
89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。
Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。
アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。
シカゴ市在住。