医療を目的に渡航する「医療ツーリズム」が注目を集めている。転地療養とは異なり、自国より水準の高い医療サービスや、より安価な医療を求めて世界で毎年推計2,100万人以上が外国の病院などを受診している。
マレーシアの医療ツーリズム
マレーシアは近年、医療ツーリズムの拠点として成長を遂げている。2009年に政府が設立した医療目的旅行協議会(MHTC)によると、24年には158万6,000人の医療ツーリストがマレーシアを訪れており、市場規模は27億2,000万リンギ(約950億円)に上る(24年年次報告)。日本では公式な統計はないものの、医療目的の訪日外国人に発給する医療滞在ビザの発給数は、24年は1,603件(外務省、令和6年査証発給統計)に留まっている。
マレーシア政府は、医療ツーリズムを早くから外貨獲得の手段と位置づけて対外的な広報に取り組んできた。政府機関と民間の医療機関の連携を進めるとともに、医療ツーリストに対するビザの発給や、同伴家族の航空券代を割り引く優遇措置などが徐々に効果を上げている。収入規模が大きいのは、病院数の多い首都圏、次いで北部で、複数の病院が点在している。これに対してマラッカは人口規模の小さい(59万人)地方都市であり、主要な受け入れ先周辺の環境を観察しやすい。越境して受診する患者や家族に必要な環境は何だろうか。
医療ツーリズムの拠点としてのマラッカ
マレー半島南西部に位置するマラッカは、マレーシア随一の観光都市だ。国際貿易港として繁栄した港町で、15世紀初めに成立したマラッカ王国以来、数々の史跡が残る。08年には「マラッカ海峡の歴史的都市群」としてユネスコの世界遺産に登録され、マラッカは年間1,800万人が訪れる国際級の観光地になった。
【リンク】vol.395 諸国の文化遺産が残る港町・マラッカ【マレーシア】
マコタ・メディカル・センター(以下、マコタ病院)は、1994年に設立された私立の総合病院で、マラッカ新市街の中心部にある。世界遺産に登録されている歴史地区にも近い。マラッカには他に公立のマラッカ総合病院、私立の総合病院があるが、マコタ病院は国際的認証である国際病院評価機構(JCI)の認定も受けており、年間9万5,000人の外国人患者を受け入れている。
マコタ病院のウェブサイトは英語、インドネシア語、中国語の3言語で表示される。マレーシアでは日常的に多言語が飛び交い、多くの住民は母語と、国語のマレー語(インドネシア語と共通の語彙が多い)または英語を話す。マコタ病院の医師にはマレー系、中国系、インド系がいて複数言語を話す。この多言語環境が、医療ツーリストを受け入れる場合の強みになっている。
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隣国の市場も視野に
マコタ病院では首都の国際空港、マラッカ空港からの送迎バスが手配できる。土地勘のない医療ツーリストには心強いサービスだ。
訪れる医療ツーリストは、海をはさんだ隣国のインドネシア人が圧倒的に多い。マラッカにはスマトラ島から、そして隣のジョホール州にはバタム島からのフェリーが発着するため飛行機よりも安価に往来できる。マコタ病院は、船着場にも送迎車を運行している。
マラッカは、隣国シンガポールの北方約240kmの距離にある。乗用車なら3時間余の距離で、シンガポールからは日帰り圏だ。シンガポールの医療水準は高いが、医療費は高額に上るため、健康診断のほか、手術など入院が必要な治療の場合にマレーシアの医療機関は利用しやすい。マコタ病院ではシンガポールの国民医療積立制度も使える上、シンガポール中心部からの高速バスも出ている。費用を重視するなら、選択肢のひとつになり得る。
マコタ病院の周辺環境
比較的治安がよく、多言語でコミュニケートでき、物価がさほど高くないマレーシアは医療目的の渡航先としては他のASEANの国より利点が多い。マコタ病院に隣接して5つ星ホテル「ハッテンホテルマラッカ」があり、その他にも経済的な3つ星ホテルや、長期滞在向きのゲストハウスも立ち並ぶ。中級ホテルはショップハウス(店舗の上を住居などに用いる伝統的長屋)の上階にあることが多いが、病院周辺にはエレベーターがあったり、レセプション近くに車いすを用意しているホテルもあり、医療ツーリストを意識しているのがわかる。共用の台所を備えているところもある。
近くには複数のショッピングモールがあり、衣料品や日用雑貨がそろっている。特徴的なのは付近に薬局が多いことで、基本的な医薬品のほかサプリメント類、杖や歩行補助具などの福祉用品にも不自由しない。
周辺にはマレー料理、中華料理、インド料理などの地元料理のほか、西洋料理やファストフードの店も多い。マレーシアでは国教のイスラムの戒律に沿ったハラール食も豊富で、イスラム教徒が多いインドネシア人には利用しやすい。マラッカには港町ならではの新鮮な魚介を扱う店も多く、シンガポール人にとっては安価に海鮮中華を楽しめる場所として人気が高い。食の面でも、マレーシアの多様性がそのまま多国籍の医療ツーリストを受け入れる素地になっている。
2026年の「マレーシア観光年」は医療関連業界も「医療ツーリズムの年」としており、近隣諸国だけでなく、中国や中東などの需要も掘り起こしたい考えだ。国際的観光地マラッカは、医療ツーリズムでも注目を集める場所になりそうだ。

森純(もり・じゅん)
文筆業。出版社・広告代理店などで書籍・雑誌の編集を担当、現在はフリーランス。衣食住など人の暮らしぶりに関心があり、日本と東南アジアを往還しながら複数拠点生活中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。