フランス・パリ。芸術や美食、歴史的建造物で知られるこの街には、もう一つの顔がある。それが「都市養蜂」だ。
オルセー美術館やオペラ座、ナポレオンが眠るアンヴァリッドなど、歴史的建造物の屋上や公共施設、公園には巣箱が設置され、市民や行政、民間団体が協力しながら養蜂が行われている。そこで採れた蜂蜜は地域で販売され、小規模なビジネスとして成立しているだけでなく、生物多様性や都市環境を考える取り組みとしても注目を集めている。
蜂蜜と聞くと、多くの人は花畑や田園風景を思い浮かべるだろう。しかし、パリで生まれる蜂蜜は、そのイメージとは少し異なる。
都市だからこそ生まれる価値
今回話を聞いたのは、パリで活動する養蜂家の一人、シリル・ウェイさんだ。本職はエンジニアで、かつては頻繁に海外出張をこなしていたという。そんな生活を見直したいと考えたことが、養蜂を始めるきっかけになった。現在は企業の理解を得てハーフタイムで勤務しながら、それ以外の時間を養蜂に充てている。
彼が管理する巣箱は、パリ14区のモンスリ公園、フランス中央銀行の屋上、そして中世ヨーロッパ有数の城塞建築として知られるヴァンセンヌ城の3カ所に設置されている。今回は特別に、モンスリ公園とヴァンセンヌ城の巣箱を訪ね、都市養蜂の現場を見学した。
「都市で養蜂をする最大の特徴は、人との距離が近いことです」
シリルさんはそう語る。
パリでは住宅や公園、カフェなど、人々の暮らしのすぐそばで養蜂が行われる。そのため、比較的おとなしく攻撃性の低い蜂を選び、巣箱の周囲には柵を設けるなど、安全面への配慮も欠かせない。
「さっきまで巣箱の前で蜂に触れて作業をしたかと思えば、その数分後には街角のカフェでコーヒーを飲んでいる。それが都市養蜂なんです」
自然と都市、人と蜂。その距離の近さこそが、街で養蜂を行う醍醐味なのだという。
そして、この都市環境は蜂蜜の味にも大きな影響を与えている。
一般的に農村部では、周囲に広がる特定の植物から蜜を集めることが多い。一方、パリでは街路樹や公園、庭園など、多種多様な植物が蜜源となる。
19世紀のオスマンによる都市改造では、フランス原産種だけでなく世界各地の樹木が植えられた。現在もシナノキやエンジュをはじめ、多様な植物が街に共存している。そのため、ミツバチはさまざまな花や木を飛び回り、多様な蜜を集めることになる。
こうして生まれる蜂蜜は、単一の花から採れる蜂蜜とは異なる複雑な香りと奥行きを持つ。
「毎年同じ味にはなりません。その年の植物、その年の街が、そのまま蜂蜜の個性になるんです」
パリの蜂蜜は、まさに街そのものを映し出す一滴なのかもしれない。
街が変われば蜜も変わる
さらに、パリの蜂蜜が高品質だと評価される背景には、市の環境政策もある。
2015年以降、パリ市は公園や街路樹など、市が管理する緑地での化学農薬の使用を原則廃止した。その結果、都市部でありながらミツバチが比較的安心して蜜を集められる環境が整えられている。
一方で、フランスの農村部では大規模農業が行われる地域も多く、農薬の影響は長年議論の対象となってきた。そのため、「自然が豊かな田舎の方が必ずしも生き物に優しい」とは言い切れない現実もある。
都市だからこそ、行政による緑地管理や環境政策を通じて生物多様性を支えることができる。パリの都市養蜂は、その可能性を示す象徴的な取り組みの一つだ。
歴史的建造物の屋上に並ぶ巣箱。そこを飛び立つミツバチたち。そして、その蜜が映し出す街の姿。
取材を通して見えてきたのは、人と自然が共生する未来の都市像を模索しながら、その実践を積み重ねる、もう一つのパリの姿だった。
盛 真理子(モリ マリコ)
パリを拠点に現代アートのマネージメントに携わるとともに、独自の文化事業を企画・運営。メディア(ラジオ・雑誌)でライターとしても活動している。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員
