海外トピックス

2011/5/20

vol.179 バーナムの都市再開発プラン

グラントパークのバッキンガム噴水。バーナムはここを市の中心として提案した(イリノイ州シカゴ市。以下同)
グラントパークのバッキンガム噴水。バーナムはここを市の中心として提案した(イリノイ州シカゴ市。以下同)
バーナムハーバー。まだ季節には早いが、夏には港はボートと人で一杯になる。右後方はシカゴベアーズでおなじみのフットボールスタジアム
バーナムハーバー。まだ季節には早いが、夏には港はボートと人で一杯になる。右後方はシカゴベアーズでおなじみのフットボールスタジアム
100年経った現在でも都心の湖岸ぎわはビルが建たぬよう保護され、深い緑に包まれている
100年経った現在でも都心の湖岸ぎわはビルが建たぬよう保護され、深い緑に包まれている
湖岸ぎわのフリーウェイに沿って南北47kmにも及ぶ遊歩道が設けられ、ジョギングやサイクリングなどを楽しむ人達で賑わう
湖岸ぎわのフリーウェイに沿って南北47kmにも及ぶ遊歩道が設けられ、ジョギングやサイクリングなどを楽しむ人達で賑わう
バーナムプランにより埋め立てられ拡張されたグラントパーク。東側は広々としたミシガン湖
バーナムプランにより埋め立てられ拡張されたグラントパーク。東側は広々としたミシガン湖
バーナムが設計したユニオンステーション。当時は車よりも鉄道が主な交通手段だった
バーナムが設計したユニオンステーション。当時は車よりも鉄道が主な交通手段だった

全米初、未来の都市はどうあるべきかを提案

ダニエル・バーナムは、シカゴの総合都市開発プランナーとしてひときわ名高い。1909年に出版された「バーナムプラン」* は、未来の都市はどうあるべきかを追求した全米で最初の都市開発の提案書。“壮大なプランを!”(Make no little plans)と提唱し、現在でもシカゴ市の至る所に彼の壮大な都市計画がうかがわれる。 提案書の中には“すべての市民は歩ける範囲に公園がある場所に住むべきである”と掲げてあるが、現在シカゴが「公園の中の都市」として有名なのもバーナムプランの都市開発を骨格として発展したことによる一つの例であろう。 この公園の一つ、グラントパークで、オバマ大統領は大統領選での勝利を宣言し、市民と喜びを分かち合った。

*The Plan of Chicago by Daniel Burnham and Edward H. Bennett 共著、1909年に出版された。「バーナムプラン」として知られる。

万博総指揮の成功を機に、シカゴプロジェクトへ

1871年の大火で市の大半が焼き尽くされたシカゴ市は、復旧する間もなく工業化が進み、他州から流入してきた人々と外国からの移民で膨れ上がり、市内至る所が混乱に満ちていた。 当時、超高層ビルをニューヨークやシカゴに建てた初の建築家として著名であったダニエル・バーナムは、1893年シカゴで開かれた世界万博の総指揮を請負い、歴史に残る最大規模の博覧会を成功させた。その成果により、かねてから都市の再開発が必要だと考えていたコマーシャル・クラブ・オブシカゴ(以下「コマーシャルクラブ」)は、バーナムとの何百回に及ぶ会合と非公式な話し合いの後、1906年に正式にバーナムを指名し、彼等がスポンサーとなって、遠大な都市開発プロジェクトが開始された。

裕福な市民が中心となって地域を改革

コマーシャルクラブはマーチャンツクラブと合併したもので、経済界・財界の卓越した人達による私的な会員制グループである。急成長で膨れ上がる都会をいかによりよく改革していくかを審議した。 なぜ公共機関がしなかったのか不思議に思ったのだが、100年も昔(日露戦争の頃)、シカゴでは市役所などの公的組織よりはむしろ私的なグループ――慈善家を含むその土地の有力者達――の発言力がより強かったのではあるまいかと考える。彼等は急激な工業の発展で多額の富を蓄え、道路の整備や清掃、公園や遊び場の整備などを引き受け、よりよい市民としてのプライドを保持しようと努力した。彼等の経済力は当然ながら公的組織に強い影響力を及ぼしたに違いない。 1912年のバーナムの死後も、プランはコマーシャルクラブにより世界大恐慌まで継続された。

市庁舎を中心に、公園、公共機関、道路…と

バーナムプランの全体図は、まず、市の中心地にフランス風のドームつき市庁舎を建て、噴水を中心に広場に囲まれたいくつかの公共建築物を配している。そして、ミシガン湖に沿ってゆったりとした公園が南北に伸びる。湖畔を背に中心地から放射線状に道路が走り、環状線が市を取り囲む。港もいくつか設ける、というものだ。 プランは6つに分けられ、第一は湖岸の改善。ミシガン湖岸に沿って一帯を埋め立て拡張する。「湖岸は公共に使われるもので、たとえ30cmたりとも個人が所有すべきではない」とバーナム。現在に至っても都心からフリーウェイに沿って南北47kmに及ぶ湖岸は公園として開放されている。 第二にハイウェイシステム。自動車がまだ夜明けの時期といってよい20世紀初めに、彼のプランはシカゴの中心地から放射線状と120kmの範囲の円周状に早くも高速道路の設置を示唆していた。 第三に鉄道駅の開発。シカゴ都心に乗り入れるターミナル駅にはトラックを駅に連結させて貨物取り扱い処理の合理的化を図った。彼が計画した乗客用のターミナルを含めた新しい複合施設ユニオンステーションは、バーナムの死後1913年に建設が開始され、現在でも使われている。 第四は、新しい公園や森林公園の設置で、これは後に「都市の美化運動」として全米に広がった。

実施に至らなかったプラン、さまざまな批判もあるが…

第五に道路の合理的な配置として、パリのセーヌ川にならいシカゴ河に沿って道路を作る、というプランがあったが、これは実施されなかった。 第六の市民文化センターの設置も、市の責任者達が提案の立地場所に反対したため退けられた。 バーナムの都市計画については多くの批判もある。中西部のプレィリー(大草原)にパリを創造しようと試みた、とか、プランすべてが大きすぎ、家族が住む住居などの記述が見あたらない、など。そうであっても、灰燼と混乱に満ちたシカゴを強いリーダーシップで近代都市へと導いたバーナムは文字通り壮大な展望を持った人物だったに違いない。 南北戦争の将軍で18代大統領グラントから名付けられたグラントパークでは、毎年、シカゴマラソン、ブルースフェスティバル、ジャズフェスティバルなどが行なわれ、世界各地から人々がやってきて楽しい時を過ごすが、ここにも「市民のために奉仕する」というバーナムの精神が継承されている。


<参考資料>
Smith, Carl. The Plan of Chicago. Chicago, IL: The University of Chicago Press, 2006.
http://en.wikipedia.org/wiki/Burnham_Plan
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Burnham
http://en.wikipedia.org/wiki/Burnham_Park_(Chicago)


Akemi Nakano Cohn
jackemi@rcn.com
www.akemistudio.com
www.akeminakanocohn.blogspot.com


明美コーン

コーン 明美
横浜生まれ。多摩美術大学デザイン学科卒業。1985年米国へ留学。ルイス・アンド・クラーク・カレッジで美術史・比較文化社会学を学ぶ。 89年クランブルック・アカデミー・オブ・アート(ミシガン州)にてファイバーアート修士課程修了。 Evanston Art Center専任講師およびアーティストとして活躍中。日米で展覧会や受注制作を行なっている。 アメリカの大衆文化と移民問題に特に関心が深い。音楽家の夫と共にシカゴなどでアパート経営もしている。 シカゴ市在住。

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