南米随一の大都市サンパウロからマイカーで約1時間、72キロメートルに位置する港町サントスは、商業都市と近い海辺のベッドタウンとして人気だ。定年後の住まいや週末の別荘を構える富裕層も少なくない。サントス住民に占めるマンション/アパート居住者の割合は63.45%とブラジル最多で、不動産賃貸の利益率も8.13%とブラジルno.1だ。パンデミック以降は海風そよぐ環境を求めて移り住む人も多い。
大西洋の水平線を望むゴンザーガ海岸沿いはサントスでも不動産人気の高いエリアだ。沿岸部は監視カメラが張り巡らされているため、泥棒天国ブラジルにあって比較的安全に海辺の散歩を楽しむことができる。そんな治安対策にもかかわらず、海岸沿いのマンション群を見上げれば、そこにはぎょっとさせられる風景がある。
まるでお砂場の棒切のような脆さ
ゴンザーガ海岸沿いの古いマンションは悪い歯並びのように、各々がばらばらの方向に傾いており、その傾斜は目視で明らかに確認できるのだ。
実はこのサントスのビルの傾きはブラジルでは古くから知らる不動産問題だ。それでも2023年にサントス市インフラ・建物局が傾き物件についての調査を行い、同年9月にその数が319棟に及ぶことを発表すると、地元メディアはこれをセンセーショナルに報じた。
傾きはサントス沿岸部の劣悪な土壌が原因だ。地表から深さ約7メートルまでを覆う砂地の下は30~ 40メートルの厚さで柔らかい粘土層が堆積しているのだ。
サントスでは1950~70年代にマンションの建設ラッシュが起こったのだが、当時、地質調査が適切に行われることなく、大半のマンションの基礎杭は地下4~5メートル程度までと浅いものだった。下層の柔らかな粘土質のため、マンションを傾かせないためには50メートルほど基礎杭を打ち込む必要があったのだ。
ブラジルでは完成から5年以内に起きた建物の構造上の問題は建設会社が補償するが、以後の修繕は住民と管理者に委ねられている。じわじわと傾きつづけてきたマンションの傾きに対する市や建設会社の賠償金は一切ない。
住民の総意が得られない傾き工事
「傾き物件が319棟と聞いて、妥当な数字だと思いました」と語るのは地元で不動産ブローカーを45年間務めるカルロス・マノエル・ネーヴェス・フェヘイラさん。フェヘイラさんはこの問題を解決するのは極めて難しいと説く。
「傾き物件は沿岸部に多く、著しく傾いた65棟のマンションはすべてビーチ沿いにあります。工事費が高額なため傾きを修正したマンションはこれまで1棟しかありません」
2012年から約1年2ヶ月かけて傾きを修正したマンションの工事費は150万レアル(約3900万円)だったと報じられている。
「マンションの傾き修正工事を行うには住民同士話し合いが必要です。工事中に仮住まいに引っ越したくない高齢住民も多いですし、すでに自室の床のみ傾きを修正した住民もいます。各世帯の費用の負担は大きなものです」とフェヘイラ氏。様々な事情により傾きに目をつぶって工事を先送りにしているというのが現状だ。
「オーシャンビューの部屋を短期滞在者へのレンタル物件にしている持ち主もいます。ブラジル人はとにかく海が好きです。年末やカーニバル期間中には数日間パックの高額なレンタル料でも借り手がつくんです」
自ら居住していないオーナーが、傾きの不安より大西洋の眺めの開放感を優先する借り手を手放したくないという事情もあるようだ。
著しい傾きにも日常生活を送る
それにしても驚かされるのは、それら傾き物件では住民が平然と日常生活を営んでいることだ。日本建築学会はビルの傾きについて0.46度で「傾斜に対して強い意識、苦情の多発」、1.3度で「牽引感、ふらふら感、浮動感などの自覚症状が見られる」、2~3度で「めまい、頭痛、はきけ、食欲不振などの比較的重い症状」とホームページで紹介している。
長年住んでいれば慣れるとフェヘイラ氏は言うが、まさかブラジル人の三半規管が特別に優れているいるわけではないだろう。
危険はない!としながらも
1950~70年代の建設当初から比べると傾斜の速度が著しく落ちているためサントス市役所は当面倒壊の危険はないとしながらも、沿岸部には今でもビルが四隅の一角に向かって毎年約2センチ傾き続けている物件もある。市は傾き物件に対して2年ごとに地盤沈下の調書を提出することを義務付けており、傾き修正工事を勧めるなど、懸念は持ち続けている。
ブラジルは日本と異なり地震がほとんどない。恵まれた土地ゆえに災害に対して「備えあれば憂いなし」の感覚は自治体にも個人にも希薄だ。傾き物件に住み続けられるのは、図太く鈍感なメンタリティのお陰かもしれない。
それでもマンション郡は傾き続ける。いつの日かサントス沿岸に並ぶマンションにドミノ倒しが起きなければいいのだがと、部外者ができることは成り行きを傍観するだけだ。
仁尾帯刀(にお・たてわき)
ブラジル・サンパウロ在住24年。フリーランスフォトグラファー兼ライター。写真作品の発表を主な活動としながら執筆を行う。写真・執筆の掲載メディアは「Pen」(CCCメディアハウス)、「美術手帖」(美術出版社)、「JCB The Premium」(JTBパブリッシング)、「PRESIDENT Online」(PRESIDENT)など。海外書き人クラブ会員。