ハプスブルク帝国の栄光を街並みに色濃く残す古都ウィーン。音楽の町、芸術の町とも呼ばれる通り、帝国時代の豊かな文化遺産がこの町を唯一無二ものにしている。
オーストリア国内には12の世界遺産がある。中でも、317ヘクタール、1600の建造物を含むウィーン中心部の歴史的町並み「ウィーン歴史地区」は、ハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿と共に、重要な観光資源となっている。
このウィーンを代表する世界遺産「ウィーン歴史地区」が現在、危機にさらされている。
危機遺産リストに登録
ウィーンに、2017年衝撃が走った。ユネスコがウィーン歴史地区を「世界遺産レッドリスト」に入れたのだ。「危機遺産」「危機にさらされている世界遺産」とも呼ばれ、都市開発や自然破壊などの影響で、世界遺産としての意義を揺るがすような恐れがあると判断された物件が登録される。
ヨーロッパでは、ドイツの都市ドレスデンが、橋の建設のために「危機遺産」リストに登録されたことがある。世界遺産の存続か、住民の利便性かの二択となったが、後者を優先した結果、2009 年に世界遺産から登録を抹消された。一方、ケルンのように都市計画の見直しが行われて、危機遺産リストへの登録が解除された町もある。
ウィーンの危機遺産入りで問題となっているのは、「ウィーン歴史地区」の端の「ホイマルクト地区」に位置する、老朽化した施設の取り壊しと高層建築の建設案だ。
ホイマルクト問題
「ホイマルクト地区」には、世界有数のコンサートホール「コンツェルトハウス」と、1912年の建造当時、世界最大を誇ったアイススケートリンクがある。このスケートリンクでは、アイスホッケーやアイスショー、氷上社交ダンスなど、様々なスケート文化の中心地となり、オリンピックメダル受賞者も利用した。戦後、このスケートリンクの左横に大きなホテルが建てられたが、老朽化の末、ホテルとアイススケートリンクは共に取り壊しが決まっている。
この跡地にホテルと住宅の高層建築を立てようという構想が、2012年に立ち上がった。しかし、建築コンペティションを経て計画が実際に動き出す直前、「ウィーン歴史地区」は危機遺産リスト入りとなる。このプロジェクトが歴史的景観を損なう、というのがその理由だ。
ウィーンを象徴する絵画「カナレットの眺望」は、世界遺産「ウィーン歴史地区」に含まれる、ベルヴェデーレ宮殿からウィーンを見下ろした風景を描いた有名な絵画だ。この高層建築が完成すると、この眺望のど真ん中に収まることとなり、ウィーンを象徴する景観が壊れてしまうと、大きな話題となった。
都市開発と世界遺産の間で
この開発計画のコンセプトは、アイススケート場とコンサートホールを中心としたスポーツと音楽の場だ。市民の憩いの場となる広いオープンスペースは、市の文化活動の場としても有効活用される予定だ。しかし一方で、歴史的景観に大きな影響を与え、世界遺産のステイタスを失ってまで実行するプロジェクトであるかは、疑問視されている。
市民の生活に必要なインフラとはいえない開発計画と、世界遺産のステイタスの二択を迫られたら、ウィーン市民がどちらを取るかは明白だ。66メートルの高層建築案は、5年に渡るユネスコとの交渉の末、48メートルに抑えられた。しかし、2024年になってもまだ「危機遺産」のリストから外れることはできていない。
ウィーン市とユネスコの間では交渉が続けられ、世界遺産の選考会議が開かれる夏には、今年こそ危機遺産リストから外れるかもしれないと期待が膨らむが、毎年、結論は先延ばしにされている。
観光収入が重要なウィーン市にとって、世界遺産のステイタスのためには背に腹は変えられない。今後、ウィーン市がどのように譲歩して、危機遺産リストから外れることができるのか、世界遺産に登録されているほかの歴史的都市からも、注目されている。
御影 実
2004年からオーストリア・ウィーン在住。国際機関勤務を経て、2011年より執筆と輸出入事業経営を手掛ける。世界45カ国を旅し、様々な旅行媒体にオーストリアの歴史、建築、文化、時事情報を提供、寄稿、監修。ラジオ出演、取材協力等も多数。掲載媒体は、『るるぶ』『せかたび』(JTB出版社)、サライ.jp(小学館)、阪急交通社などの旅行読みものや、日経BP-DUAL、プレジデントウーマン、時事通信、『家の光』などの社会情勢分析。執筆協力は『ハプスブルク事典』(丸善出版)、『びっくり!!世界の小学生』(角川つばさ文庫)等。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。