古い街並みで知られるイポーは、最盛期には世界の錫の半分を産出した「錫の都」だ。イギリス統治時代には行政の中心が置かれていたため、旧市街には19~20世紀前半の建築が残っている。
歴史を感じる街並みが観光の中心だったイポーだが、近年は街のあちこちにあるアート作品が人気をよんでいる。著名なコーヒー・チェーン「オールドタウン・ホワイト・コーヒー」が、2012年にアーネスト・ザカレヴィッチ氏を招いたのが転機になった。
「マレーシアのバンクシー」ザカレヴィッチ氏の壁画
リトアニア生まれのザカレヴィッチ氏は、マレーシアのペナン州在住のストリートアーティストだ。2012年に同州で行われた「ジョージタウン・フェスティバル」で描いた壁画作品が注目され、しばしば「マレーシアのバンクシー」ともよばれている。
ザカレヴィッチ氏は2014年、作品「コーヒーカップをもつ老人」をイポー旧市街に制作した。イポーは浅く焙煎した甘いホワイト・コーヒーで知られる。
作品は「オールドタウン・ホワイト・コーヒー」 イポー広場店の壁にあり、ペラ州観光案内所に面していることもあって、壁画を写真に撮ろうとするひとが順番を待つほどの観光名所になった。「イポー広場」沿いに一街区東には作品「紙飛行機」もある。
地元では壁画を”mural art”または”wall art”とよぶ。
南に二本先の通りの壁に、作品「はちどり」がかろうじて見える。熱帯の強い日差しと、激しい雨に打たれる屋外の壁画は保存が難しい。この作品は駐車場に隣接する建物の壁に描かれたが、ホテルの建設計画によって駐車場は封鎖されている。所有者が変わることもあるため、建物に描かれた壁画の維持にはさまざまな問題が絡む。
ふたつ南の市場小路にある作品「トライショー」には、トライショー(自転車で引く荷車)の実物を、半分にして壁画と一体化させている。生活のために資源になるものを回収する男性を題材に、現在の快適な暮らしに至る前の人びとの生活を描いたという。
ザカレヴィッチ氏は、これまでにイポーで8点の壁画を制作している。
さまざまな表現の街角アート
「ストリートアート」は許可を得ずに文字や絵を壁などに描く、落書きに起源をもつ。これに対して、イポーで見かけるアートはまちぐるみのものも多い。
イポーのランドマークで、英領期に建てられた「バーチ記念時計塔」を起点に、東に向かってパングリマ小路を歩いてみよう。シェイク・アダム通りより先は、2022年にイポー市がアートに関連する催しのために整備し、その名も「アート小路」と名づけられている。
「アート小路」は鉄製のフレームが目印だ。特産のバティック(ろうけつ染め)から着想を得たもので、厚さ5ミリメートルの鋼板がマレーシアの花鳥風月を表現している。早朝と午後では影の表情が変わり、18枚がつくる陰影のハーモニーが味わい深い。
建物の間を通る細い小路には、思い思いのテーマで描かれた壁画がある。さらに東に進むと、「愛人小路」とよばれる辺りに出る。錫景気で栄えていたころ、富豪たちが二号を住まわせていたことからこの名があり、現在は土産屋が並ぶ、観光客でにぎわう一角だ。
パングリマ小路をさらに進むと、ビジェ・ティマ通りに出る。先を左に曲がると、ユンワ・カフェ脇の壁画に出会う。壁に埋め込まれたビア樽をテーブルに、3人の男性がジョッキで乾杯しているユーモラスな絵柄で、格好の撮影場所になっている。壁画には、「フローズンビール」で知られる店の名も入っているので、しっかり宣伝の役割も果たしている。
ビジェ・ティマ通り角にある壁画はシンガポールのアーティスト、イップ・ユー・チョン氏の作品だ。同氏の、マレーシアでは初めての制作で、2017年に完成した。イポー特産のポメロ(ざぼん)やマレーシア伝統の凧(たこ)、ヒンドゥー寺院に捧げる花輪や、女性が腰に巻くサロンなどに囲まれながら、「シンガポール・マレーシア商店」の店主は藤いすに陣取って、のんびり客を待っている。少し前の時代を知る人びとには、なつかしい情景だ。
市内には、建物の壁を大胆に使った絵画作品が点在している。パングリマ・キンタモスク近くに生まれた「壁画通り」など、壁画を目当てにイポーを訪れる若い観光客も増えてきた。2024年を「ペラ訪問の年」と位置づけるペラ州は、国内から800万人、海外から35万人の観光客を呼び込むことをめざしていて、街角アートは、古い街並みで知られるイポーの、新しい魅力として期待を集めている。
森純(もり・じゅん)
文筆業。出版社・広告代理店などで書籍・雑誌の編集を担当、現在はフリーランス。衣食住など人の暮らしぶりに関心があり、日本と東南アジアを往還しながら複数拠点生活中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。