住民をアーティストにするリノベマンション
改修の自由度が高い特長を生かして、新築では難しいデザイン要素を取り入れることができるリノベーション物件。なかでも、著名なアーティストやデザイナーが関与した「デザイナーズリノベーション」は、こだわりの強いユーザーには人気だ。しかし、それらはデザインの助言をもらったり、アーティストの作品を飾ったりといった程度のものがほとんど。本当の意味でアーティストの「作品」と呼べるリノベーションはない。そうした中、アーティスト自らが手を動かしリノベーションに参加。住戸をまるごと「アート」にした物件が登場した。

表現の場が無く貧困にあえぐアーティスト
大阪を拠点に、不動産売買、仲介、リノベーションなどを手掛けている(株)第一住建ホールディングス(大阪市中央区)。グループを率いる松尾 武社長はある日、行きつけのバーで、そのバーによく顔を見せるという、アーティストたちの困窮の実態を耳にする。「納得する作品ができても、それを世に出すことは容易ではない。才能があるアーティストやその作品が、表現の場が無いばかりに埋もれているのはもったいない。当社の事業を通じて、何とか支援できないかと考えた」(松尾氏)。
アーティストの支援というCSR活動ともっとも親和性の高い事業は何か社内で議論した結果、リノベーション事業での協業がベストではないかという話になった。しかし、ただ単にアーティストの作品を飾ったり、デザインのヒントをもらったりする程度では、面白くない。そこで、アーティスト自らが物件をひとつの「作品」としてリノベーションに関与してもらい、購入者にその唯一無二の空間に住んでもらおうという「アートリノベーションプロジェクト」が2023年に立ち上がった。
住まいの安全性・快適性をどう維持するか

今回、同社のプロジェクトに参画したのは、東京藝術大学出身の彫刻家・山崎千里氏と、染飾アーティストの皆川百合氏だ。「アトリエで作品を作っていると、『見学させてほしい』いう人がものすごく多い。皆さん、作品以上にアトリエという空間にものすごい興味があるのだなと。それを思い出し、住居そのものをアトリエのような空間にしてみたかった」(山﨑氏)。
このプロジェクトの最大の特徴は、住まいそのものが「アート」であることだ。つまり、リノベーションで住まいを仕立てていくことが、アーティストの作品制作にもなる。しかし、そこが最大の難しさだった。アートではあるといっても、そこは「住まい」。安全性や快適性が損なわれるようではまずいからだ。
アーティストの「作品」であるが、それを「作る」のは現場の職人さんたち。そこで、両氏と同社スタッフ、施工を手掛ける工事業者が半年間にわたりディスカッションを繰り返し、アーティストの意図が明確に伝わるよう、間取りや室内デザインだけでなく、部材の選定やカラーリング、仕上げ方まで、綿密に施工プランを練り上げた。そのため、物件取得からリノベーション竣工までに1年と、一般的な買取再販リノベーションの倍以上の時間がかかった。
2人のアーティストの個性が投影された空間
リノベーションしたのは、東急東横線「菊名」駅徒歩10分に立地する分譲マンション「クレベール菊名」(横浜市港北区、総戸数11戸)の1階住戸(3LDK、専有面積67平方メートル)。同社は大阪が拠点だが、2名のアーティストが首都圏を拠点に活動していることから、打ち合わせ等の時間効率を考え首都圏で物件を選定、同社が買い取った。1989年築と古いが、第一種低層住居専用地域に立地する小ぶりの低層マンションで、住環境は抜群だ。
リノベーションの定石通り、まずは内装をフルスケルトンとしたうえで、32平方メートルのLDKと24平方メートルの洋室の1LDKに改修した。最大の眼目は、アーティストの「作品」として手掛けられた室内デザイン。床は、一般的には下地材として使われる(山﨑氏のアトリエの床をイメージしたという)OSB合板とベニヤ板(洋室)を使用した。表面がざらざらしており、そのままでは生活ができないため、通常の生活に耐えられるよう、やすり掛けし、ニスで仕上げた。やすり掛けの具合やニスの塗り重ねの回数など、数十パターンの組み合わせから施工法を決めている。OSB合板とべニア板の境目は、山﨑氏自ら数ヵ所に杭を施工した。室内空間の各所はR仕上げとしているほか、玄関から洋室にかけ天井高を少しずつ高くすることで、視覚的に空間の広がりを表現した。

洋室のハンガーラックは、工房で工具類などを収めるラックと同様の太いパイプを組んで作った。居住者のライフスタイルに合わせて、自由に組み替えることもできる。洋室の床の境目は波型に施工されており、これに沿うよう空間を間仕切るレースカーテンを設置。カーテンは皆川氏が染め上げた茅生地のものを使っている。「いつもは布の上で色を表現しているが、今回は空間にどのようにアプローチし、色をどう魅せるかを考えた」(皆川氏)。洋室のハンガーラックにも同氏の作品が架けられている。
入居者が住んで完成する「アート」
キッチンとカウンターは1点もので、キッチン壁面とカウンターは同じ色合いの海外製タイルが張り込まれている。ここにちょっとした工夫が。キッチン壁面のタイル目地は白いのだが、カウンターは黒い。「壁は目立つように白く、カウンターは汚れてもいいように黒」(山﨑氏)という発想は、壁面タイルをアートと認識している山崎氏ならでは。リビングの出窓周辺も「植物に水をやりすぎてこぼれても大丈夫」(山﨑氏)なように、タイル張りとしており、うまく生活にアートをなじませている。
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玄関とリビングを仕切る袖壁やリビングと洋室とを仕切る壁には、本やアートを飾るためのスペースを用意。「住む人自らが“アーティスト”となり、好きなアートを飾ったり、好きな暮らし方をすることで、この作品を完成させてほしい」(同氏)。
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同物件は、唯一無二のデザインであること、通常の買取再販物件の倍以上の事業期間がかかっていることなどから、周辺相場よりもやや高めの4,180万円で販売中だ。今後の課題は、これに続く物件のリリース。書いてきた通り、アーティストのこだわりを反映させるため、一般的なリノベーションとは比較にならない時間やコストがかかる。さすがに「量産」というわけにはいかないが、効率的な事業の流れなどを検証しながら、第2弾・第3弾の取り組みについても検討していくという。
CSRの取り組みとしてはじまった「アートリノベーションプロジェクト」だが、フルオーダーマンションと、吊るしの新築マンションとの間をつなぐ「自己実現の住まい」として、そのコンセプトは同社の事業に生きてきそうだ(J)