ハプスブルク時代の建物が残る音楽の都ウィーンには、秘密の抜け道や中庭がいたる所にあります。ウィーンの建築に欠かせない中庭は、外界とは隔絶された、住民限定の半プライベートな空間です。中庭は袋小路になっている場合と、通り抜けることができる場合があり、後者の場合をドゥルヒガングと呼びます。
地図には載っていないことが多く、近隣の住民しか知らない近道ですが、のぞいてみると意外な一面を発見できたりします。共用井戸や、木製のバルコニーが残り、様々な時代の生活を反映する中庭とドゥルヒガングの魅力をご紹介します。
ウィーンの中庭の構造と種類
自動車やバスが行きかう通りや、観光客でごった返す旧市街の道を一歩入ると、静けさと古い建物に囲まれた中庭や通り抜けに迷い込むのが、ウィーン散策の醍醐味。
ウィーンの建物は、道路を縁取るように建てられ、内部は空洞になっていて、中庭が多い構造になっています。

ウィーン市内に700もあるといわれる中庭のほとんどは、個人の住宅の内部にあり、関係者や住民以外は入ることのできない空間になっています。しかし、その一部は一般にも開放され、知る人ぞ知る隠れ家的レストランや、秘密の通り道として、地元の人たちに親しまれています。
現在の中庭のいくつかは、シャニガルテンと呼ばれるレストランのテラス席として使われています。通りの喧騒から一歩入った中庭の静けさは、まるで都会のオアシス。緑に囲まれた空間で、おいしいウィーン料理とワインを味わうのも、地元民の楽しみの一つです。
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また、広場のように大きく、店舗や教会、幼稚園や学校などが面している場合もあります。一般に公開されている修道院や貴族の館の中庭も多く、用事がなくても比較的中に入ってのぞいてみやすい場所もあります。

中庭の役割と歴史
ウィーンでこのような中庭を持つ構造の建物は、16世紀には既に存在し、古いものでは中世の頃からあったとされています。住民は、手工業者や商人、洗濯婦などの町の人で、共有スペースであった中庭は、重要な生活の一部でした。

中庭に作られた共用井戸では、日々の水汲みや洗濯にいそしむ女性たちが井戸端会議にいそしみ、子供たちが遊び、日がささず狭いアパートから出て、外の空気を楽しみ、ご近所づきあいやコミュニケーションを楽しむ場でもあったのです。
ウィーンの中庭の特徴
ウィーンの中庭の多くには、井戸のほかに、庭木やツタなどちょっとした緑の空間があり、古いものはパヴラッチェン(Pawlatschen)と呼ばれる木製のバルコニーで囲まれていました。

パヴラッチチェンはチェコ語の「外の通り道」Pavlaを語源とし、中庭に面したバルコニーを指します。このパヴラッチェンから各個室に続いていて、狭い階段で各階が結ばれています。
1881年に起きた火災以降、パヴラッチェンの建設は禁止されていますが、それ以前の建物の中庭には美しく植物で飾られて残っている場合も多く、歴史を感じさせる風情を楽しむことができます。
あの音楽家も歩いた?歴史ある中庭の風景
オーストリアを代表する作曲家モーツァルトも、中庭のある建物には慣れ親しんでいました。ウィーンの中心シュテファン大聖堂からほど近い、「ドイツ騎士団の館」は、1781年にウィーンにやってきたばかりのモーツァルトが住んでいた建物です。また後年作曲家ブラームスもここに住んだことがあります。
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知る人ぞ知る秘密の抜け道であり、静けさに囲まれる小さな楽園として、ウィーン人に昔も今も親しまれている中庭。
観光客でごった返す通りからふと迷い込み、迷路気分で中庭やドゥルヒンガングを散策していると、ふとこの町の、歴史の中に迷い込んでしまった気がします。

御影 実
2004年からオーストリア・ウィーン在住。国際機関勤務を経て、2011年よりフォトライターと輸出入事業経営を手掛ける。世界45カ国を旅し、様々な旅行媒体にオーストリアの歴史、建築、文化、生活情報を提供、寄稿。ラジオ出演、取材協力等も多数。掲載媒体は、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、サライ.jp(小学館)、阪急交通社などの旅行メディアや『びっくり!!世界の小学生』(角川つばさ文庫)等。海外書き人クラブ所属。