マレーシアは、外食天国といわれるほど飲食店の多い国だ。冷房が効いて快適なレストランのほか、開放的な簡易食堂、屋台が集まるホーカーズ(集合屋台)など飲食店の種類も多く、パラソルを差しただけの屋台やフードトラックなども路肩でよく見かける。朝食を外で食べる家族も結構いて、外食は地元の食生活に欠かせないものだったが、2020年の新型コロナウイルスの流行で、飲食をめぐる環境は一変した。
感染拡大と「活動制限令」による外出制限
現在のマレーシアのコロナウイルス感染者数は9354人、死者は128人(9月1日時点) 。
最初の感染者(中国人旅行者)が確認されたのは1月末で、当初は中国で流行している病気、とさほど強い危機感は感じられなかった。しかし、2月初めにマレーシア人感染者が確認された後、モスクでの集団感染を引き金に、3月15日以降は連日100人を超える新規感染者が出た。
感染拡大を抑えるための措置として、政府は活動制限令(MCO)を発令、3月18日から全土で外出・移動を制限した。当初3月31日までとされた期限は3回延長され、約8週間にわたって制約が多い生活が続いた。
続いて5月4日以降は「条件つき活動制限令」、6月10日以降は「回復期活動制限令」と段階的に規制が緩和されてはいるものの、執筆時点では2020年12月末まで制限下におかれることが発表されている 。
屋台や露店が閉鎖、
レストランも持ち帰りだけの営業に
MCOは、商業施設や教育機関の休校、外国人の入国の全面禁止などを内容とするもので、食料品や生活必需品の買物、通院などの外出は認められた。このため、スーパーマーケットや市場、コンビニエンスストア、薬局などは時間を限って営業していた。
ただし、人の動きを制限して感染拡大を抑制する趣旨から、外出できるのは一家にひとりだけ、それも10キロ圏内のみという条件がつけられた。集合屋台や路肩の屋台・露店は閉鎖され、営業している飲食店でも店内で飲食はできず、持ち帰りのみとなった。もっとも、当地ではファストフード店以外でも料理の持ち帰りは一般的なため、飲食店の対応は早かった。また、外出に制約がある分、飲食宅配サービスは盛況で、グラブ・フードやフード・パンダを利用する人は多く、交通量が減って閑散とした道路を、宅配のバイクが行き交うのが見られた。
バザールのないラマダン(断食月)
マレー系のムスリムにとって、約1か月にわたる断食と、その終了を祝う「断食明け大祭」は一年で最大の行事で、今年は4月23日から5月23日までが断食期間だった。
イスラムの断食は、日の出から日没までの飲食を断つもので、日没のアナウンスが終わるやいなや、水を飲んでのどの渇きを癒す。この時期限定のラマダン・バザールは夜市のようなもので、軽食や飲み物、果物などの露店が並び、ムスリム以外の客も集まり大いに賑わう。しかし、コロナウイルス対策で人出を警戒したため、恒例のラマダン・バザールが今年はみられなかった。
バザールに出店するのは小規模な事業者で、ウェブサイトなどをもっていない店舗も多い。バザールがないことで大幅な収入減を憂う声も多かったことから、自治体や飲食宅配サービスがオンラインで注文・配達できる仕組みを作った「電子バザール」が登場した。
店舗にも顧客にも新ルール
条件付き営業再開
4月後半から市中での感染が減少したことを受けて、5月4日からMCOが緩和、店内での飲食も再開された。社会的距離の保持、衛生管理、人混みを作らないことが定められたため、店舗はこれまでとは違った対応が求められるようになった。
入口にはアルコールや手指消毒剤を設置し、入店者の人数を制限、テーブルは距離を保って配置し、ひとりおきに座るようテーブルに表示するようになった。従業員はマスクの着用が義務付けられ、頻繁に手洗いや消毒をすることのほか、店内の定期的な消毒も推奨されている。顧客の側も、制限人数を超えないよう店外で待ったり、入店時に検温して名前・連絡先を記入することが必要になった。
再び感染者が増え始めた8月には、第2波を警戒してさまざまな規則が導入され、店舗の入口はひとつにして、検温や名前・連絡先の記入を確実にする動線を作るほか、屋内ではマスク着用が義務化された。入店記録の電子管理、感染者が出た場合の補足のために、携帯電話アプリの義務化も検討されるなど、ルールも日々更新されている。
「新しい常態」で変わる日常生活
ウイルスの流行がもたらした、「新しい常態」(ニュー・ノーマル)。このウイルス禍がいつ収束するのか、まだ先は見えていない。ワクチンや治療法が確立していない以上、不便でも、当面は現在の感染防止対策を継続せざるをえない。医療関係者からは、向こう二年以上は対策が必要という観測も聞かれる。感染症を視野に入れながら、リスクをできるだけ下げる日常生活の模索は、始まったばかりだ。
川崎 典子
編集・ライター。マレーシアを中心に、東南アジアの社会や生活文化について取材、寄稿中。大学では国際関係論を専攻。卒業後、勤務した出版社でアジア関連の書籍を編集するうちにアジアに惹かれ、退職して1年超の旅行を経験。アジアを中心に、これまで約20か国を訪問。国際協力NGOの東京勤務を経て、現在は東南アジア在住。「海外書き人クラブ」所属。