記者の目 / その他

2010/2/8

「え、女性が不動産業?」という時代に開業

戦後、女手一つで堅固な不動産会社を築いた姫野千穂氏を偲ぶ

~そして、女性を取り巻く環境は変わったか?  東京の高級住宅地として有名な「東京都世田谷区成城」。  この地で、「成城にこの人あり」と言われ、大手企業も入り込めないほどの強固な地盤を持つ不動産会社「レイモンド不動産株式会社」を、女手一つ、一代で築いたのが、姫野千穂氏(同社・元社長)だ。  不動産業界に女性が珍しかった時代に起業。住まいをお世話するという仕事に生き甲斐を見出し、多くの努力と苦労を重ねながら、地域に根付いた企業を築き上げた姫野氏。何より、「お客さまに重宝される会社でありたい」をモットーに、仕事一筋に生きた人だったが、その熱い生き方とは裏腹に、2009年9月23日、最後はひっそりと旅立たれた(享年76歳)。  生前の姫野氏との交流を通じて感じた氏の人となりを紹介しつつ、氏を追悼したい。

1990年、姫野氏を団長に女性海外ツアー「米国不動産事情視察団」(不動産流通研究所企画)を実施した。ロサンゼルスのジョンダグラス社にて。中央の男性がジョン・ダグラス氏、その左隣が姫野氏。
1990年、姫野氏を団長に女性海外ツアー「米国不動産事情視察団」(不動産流通研究所企画)を実施した。ロサンゼルスのジョンダグラス社にて。中央の男性がジョン・ダグラス氏、その左隣が姫野氏。

ユニークな経歴を持つ女性経営者

 姫野氏は、大阪・船場の生まれと聞く。幼少時は老舗繊維問屋のお嬢さんとして育ったが、戦後の不況で家業が傾いたこともあり、昭和28年(1953年)、シナリオライターを夢見て単身上京。東京世田谷区成城のGHQの家庭で住込みのメイドとなった。そこで日常英会話をマスターしたという。

 あるとき、在住アメリカ人の家探しを手伝って御礼に「手数料」をもらったことで、不動産の仲介に興味を持つ。昭和30年(1955年)、「レイモンド商会」(レイモンド不動産株式会社の前身)を設立。以来、地域に徹底的に密着した不動産営業を展開した。須美子という本名からスージーという呼び名で在住アメリカ人に親しまれ、頼りにされたという。そして、女手一つで、「成城にこの人あり」といわれるほどの地盤を築いたのだ。

印象に残る、独特な言葉遣いと服装

 本誌「月刊不動産流通」は創刊が1982年。そのころには、同社は成城で他に追随を許さない強固な基盤を築いていた。当時急速にネットワークを拡大していた大手仲介会社ですらも、同エリアでは「レイモンド」の厚い壁に阻まれて、なかなか実績をあげられなかったと聞く。

 姫野氏には、84年に同社店舗を取材させていただいたのをきっかけに、本誌座談会への出席や、当社が企画した女性だけの海外視察ツアー第1回目(90年)への参加(団長)など、さまざまな形でお世話になった(写真参照)。
 初めてお会いしたときに感じたのは、女性を感じさせない服装や言葉遣いが醸し出す独特な雰囲気だ。また、一見やさしいまなざしの奥には鋭い眼光が時々感じられる人で、緊張しながら話したのを覚えている。

人懐こくて繊細な心を持った人

 姫野氏が実際には、人懐こくて細やかな気遣いをされる方だとわかったのは、90年のアメリカ視察をご一緒してから。
 姫野氏は、人との関係を大切にされる方で、一度縁を持った人とは長く付き合う。
 筆者もその後何度か、他の視察参加者らと成城のご自宅などにお招きいただいた。

 ご自宅は小田急線の成城学園駅から15分程歩いた、閑静な住宅街の奥まった場所にあった。食事の後は毎回必ずリビングルームでカラオケ大会。大きな窓から夜の仙川を見下ろす幽玄な空間が、カラオケマシンのスイッチを入れた途端にバリバリのミュージックスタジオに様変わりした。われわれの歌を聴きながら、楽しそうにお好きなソルティードッグを飲んでおられた姫野氏の姿を懐かしく思い出す。

 気がつけば電車はなくなり、「泊って行きなさい」と引き止めてくださるのを、明日も仕事だからと振り切ってあわてて辞すのが毎度のパターンだった。外に出てみると、高級住宅街だけに、道は真っ暗、タクシーはまず通らない。「しまった!」と思うが、もはや後戻りは不可能。闇の中をタクシーを求めてさまよい歩き、「回送」の車を止め、頼み込んでなんとか乗せてもらったこともある。

 一緒に飲んだり歌ったりした女性たちのなかには、姫野氏のご自宅に泊めていただいたことがきっかけで、いろいろと悩み相談等をするうちに、某大手仲介会社からレイモンド不動産に転職した人もいる。

女性であるが故の苦い思いや経験も…

 お付き合いを重ねるなかで、仕事やプライベートなど興味深いお話をいろいろうかがった。
 成城は有名人、富裕層が多く住むまち。石原裕次郎をはじめ某歌舞伎役者などのエピソードや、姫野氏がメイド時代に垣間見た、当時のアメリカ人家庭の実態などもときには楽しくお聞きしたが、折に触れて姫野氏が思い出話とともに語ったのは、開業当時からの「女性社長」としての経験談だ。

 今でこそ、不動産業で女性が働くことは珍しくなくなったが、同氏が開業した時代は自ら不動産業に入ってくる女性は皆無に等しく、姫野氏は周囲の同業者、住民からは奇異な人物にみられたようだ。

 「初めのうちは、女性と言うだけで変な顔をされた。中には珍しがってちやほやしてくれる人もいたけど、なんとなく職業人としての視線ではなかった」と姫野氏は語った。そんななか、同業の男性経営者と仕事をするときなどは、「すみません、教えてください」と、常に下手に出て、業界の慣習等を学びながら、人脈を広げていったのだという。

 だが、仕事が軌道に乗り始め、徐々に同社が地域の人々の信頼を得て実績をあげるにつれ、自分の地位を脅かす存在になってきた姫野氏に対する危機感からか、これまで親切に何でも教えてくれた同業者たちが手のひらを返したように冷たくなった。
 そして「女のくせに」「女に何ができる」という気持ちを態度に出すようになる。「『若い女性が不動産業なんて、きっと強力なスポンサーがバックにいるに違いない』、『何か人に言えない裏稼業をしているのでは』などという噂を立てられたこともある」(同氏談)。
 同氏が、あえて女性を感じさせない服装やヘアスタイル、言葉づかいをするようになったのは、そうした背景がきっかけだったのだ。いつだったか、「こういう恰好をしているのは、別に男になりたいからではない」と言われたことがあった。だがその一方で、「女であることが不利だと思ったことはあるが、マイナスだと考えたことはない」「女は女。私には身体ばかりではなく心の中に女の部分がある。それは私が仕事をしていくうえで大事なもの」とも言われた。

 「今は、男性だろうが女性だろうが、競争相手は競争相手として見るし、同じ業を営む同士、ビジネスの相手としてみてくれる。その意味では世の中変わったね~」と語っておられたことを思い出す。一方、「仕事には男も女もないけれど、男と女は所詮別物。そこはしっかり認識しておかないといけない」とも。

「会社が生きれば私も生きる」と、女性後継者に後を託し…

 シナリオライターをめざしたほどなので、文章もお上手だし、すっきりとした美しい字を書かれた。一度「ご自身の半生記を書かれたらどうですか」と提案したら、「ときどき言われるけど、私の人生は仕事のことばかり。色っぽい話がないから、面白くない」と笑っておられた。

 ストレス解消法は「雑巾がけ」。メイドをしていたころの名残なのか、仕事で疲れて家に戻ると、腕まくりして、広い家の廊下を隅から隅まで雑巾がけするのが心身ともに心地いいと、笑いながら話してくれたこともあった。姫野氏がわれわれに母親のような「女性の顔」を見せてくれたのは、こうしたときだ。

 5年前に社長を退き会長に就任したが、毎日会社に顔を出して、仕事の様子を気にしていたという。2年前脳梗塞で倒れたものの、いったんは回復。しかしその後体力が落ち、昨年秋、帰らぬ人となった。「散々お世話になりながら、死んでまで皆さんにお手を煩わせたくない」との本人の強い意志で、葬儀・告別式は執り行なわれなかった。

 姫野氏の厚い信頼を受け、同社経営の後を継いだ大島まや社長によれば、姫野氏は生前から「会社が生き続ければ、私も生きる」と言っていたという。女性を後継者としたことで、姫野氏が培った多くのことがレイモンド不動産にしっかりと残され、生き続けていくことであろう。

 姫野氏に生前賜ったご厚情とご指導の数々はまだまだここでは紹介しきれないが、筆者の心にはさまざまな思い出とともに強く刻まれている。
 経営者として、女性として、戦後の半世紀余をたくましく生きた姫野氏のご冥福を心からお祈りしたい。

そして、「女性を取り巻く環境」は…?

 不動産業界で働く女性は増えてきた。もはや、姫野氏が開業したころのように、「女性」というだけで特殊な視線を感じる状況はなくなったといえよう。
 しかし、経営者という立場ではどうか。

 先日、関西で女性グループのリーダーとしても活躍する不動産経営者と会ったが、「本当の意味での女性トップというのはまだまだ少ない」と彼女は言う。女性社長として表に名前を出してはいても、実質はご主人が仕事をしているなど名前だけの人も多く、経営者としてしっかりとした実績をあげているケースはわずかのようだ。
 確かに見回せば、業界団体のトップ、支部長クラスでも女性は数えるほど。少数の女性の頑張りが時おりきらりと光って見えるが、その人の後に続く女性が現れないことは寂しい限りだ。
 「まだまだこの業界は男社会やからね~」と彼女が嘆くのを聞いて、十数年前に全く同じ言葉を姫野氏が言われていたことを思い出した。

 政治、経済、社会…、日々さまざまな場面で世の中の閉塞感を感じることが多くなった。「変化」という言葉が昨今のキーワードになっているのもその表れであろう。今後、不動産業界やそこで働く女性たちに、不動産業の「変化」を牽引する原動力の一つになっていってもらいたいと考えるのは筆者だけではないはずだ。
 そして、姫野氏もきっとそれを旅先でじっと見守っていてくれることと思う。(yn)

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