コロナ禍で注目度が高まる郊外住宅地。自然が豊か、都心に比べると安価、土地建物にゆとりがあるという魅力にひかれる人は多い。しかしユーザーの選択眼が“肥えている”現在、それだけでは、購入希望者を獲得するのは容易ではない。その地に、その住まいに住むという理由付けが、開発・販売する側にも求められる。
(株)拓匠開発(千葉市中央区、代表取締役:工藤英之氏)が千葉県北西部に位置する野田市で分譲した大規模住宅団地「オオソラモ野田みずき」(千葉県野田市、194戸)は、他の住宅地との差別化、生活する上でのうるおいの供給のために、広い緑地帯を整備し、さらには自社運営のベーカリーまで構えた。レポートする。
◆徒歩20分超の住宅地に付加価値を
東武アーバンパークライン「梅郷」駅・「運河」駅のいずれからも徒歩22分。かつバスの便も豊富ではなく、交通の便の視点では少々難がある地。その土地約5万5,000平方メートルを仕入れた同社が、分譲住宅地を造るに当たっては付加価値を与えることが不可欠と考えたのは、当然のことかもしれない。
価値創出のための策を検討する中で決定したのが、中央緑地帯の設置だ。
南北に長い分譲地の中心を貫くように、約4,000平方メートルの緑地帯を用意。芝生を敷き、コミュニティの核となる共用建物「グラスハウス」やビオトープを設置した。
取材は冬だったため、緑豊かとはいかなかったが、それでも広々とした空間が心地よく、住宅団地にありがちな家が立ち並んだ光景が与える圧迫感のようなものが感じられなかった。
「緑地帯に充てた敷地は、30~40区画多く住戸を設けて販売できるだけの面積があります。しかし、この住宅地の価値を上げるために、あえて緑地帯とし、その周りに家をつくるという逆転の発想で企画しました」(経営企画部お客様感動課課長・星野竜雄氏)。
中央緑地帯からはクルドサックを7本通し、その周りに住宅を配置。これも、コミュニティ創出のための工夫だという。
「クルドサックは突き当りでぐるりと回る形となり、人の“かたまり”ができやすいと考え、導入しています。クルドサックを囲む住戸単位で、バーベキューやお祭り的なイベントをされている様子も見られました。コロナ禍でも、小さな人だまりが生まれています」(同氏)。
◆公道への出入口の区画をベーカリーに
そして、この分譲地ならではの取り組みが、ベーカリーの開設だ。女性の営業担当者が発した「パンの匂いがするまちって素敵ですよね」の一言により実現したという。同社社長の工藤氏がイギリスに滞在したときに、朝にバケットの焼ける香りに接してとても気分が良かった体験も、その提案実現を後押しした。
公道への出入口そば、外周道路に面した区画の販売を取りやめ、ベーカリーとすることに決定。パン職人を採用し、店のコンセプトづくりから着手した。大前提として美味しいパンを提供すること、そして美味しい匂いにつられるように人が集まるような場所にすること。
これを実践するために、店舗設計もこだわった。小さな東屋のような建物とし、さらに屋根と壁の角度を45度ずらし、人が集えるようスペースを創出している。
フランス語で「屋根」を意味するtoit(トワ)から発想を得た造語である「トイット」を冠し、2018年6月にオープンした。1日の生産量は、当初基本600個に設定。その数を製造できる最小の工房を設置し、売り場もあえて小さいスペースとした。「スモールスタートとすることで、リスクを低減させました」(同氏)。製造するパンはフルスクラッチ(粉を仕入れ、生地を仕込んで発酵・焼成までの全工程を店舗併設の工房で行なう)で提供する。手間もコストもかかるが、香ばしい匂いと美味しいパンを提供するために、そこは譲れなかったという。
当初は来店客も少なく苦労したというが、店長が毎日Facebookで情報を発信するなどの努力も重ね、何よりパンのおいしさが評判となり半年ほどで完売するように。利益も計上できるようになったという。
大屋根の下には、日によって、コーヒー店などのキッチンカーや野菜、花を売る店などが出店。この場所に足を向けるとパンを購入する以外の楽しみにも遭遇できる。
◆分譲事業者が運営するベーカリーがある“安心感”
コロナ禍突入後も、トイットは変わらず、いやむしろそれまで以上に“盛況”。在宅ワークをする人が増え、朝食、昼食、間食ニーズが増えた。「通常営業を続けていましたが、売り場が小さいので、密をさけるために2組以上は入店できないなどの対応をとりました。逆に外に行列ができたりして、むしろ購入が促進された面もあったかもしれません」(同氏)。
小さい子供と手をつないでパンを買いに行くファミリーの姿、緑地帯にあるグラスハウスのウッドデッキで買ったパンをほおばる人の姿も見られる。「『私の住むところにはパン屋さんがある』と自慢してくれているシーンにも遭遇したことがあります」(同氏)。
なお、まちづくりを行なったディベロッパーが運営するベーカリーが住まいの近くにあるということが、購入者にとって何よりの安心感となっている、と同氏は語る。「トイットが当社運営のベーカリーということは、購入者はみなご存知です。気楽に訪れることのできるトイットに、住まい等の相談窓口の役割も担えるようにしていけたら」。
同社は、以前このコラムで紹介した椿森コムナでも飲食業を手掛けている。さらに今回の「トイット」の好感触を受け、千葉県内で現在分譲している「さつきが丘」にもベーカリーをオープンさせることを決定した。不動産業と飲食業は、親和性、そして相乗効果が高いと考え、2020年7月には飲食事業を手掛けるGoodies(株)設立。今後さらに飲食と不動産事業を絡めた展開を検討していくという。
「われわれがまちづくりを進めるにあたり、購入してくれる、住んでくれる方には付加価値を与えたい。家は売って終わりではなく、生活が始まってからが顧客の幸せにつながる。とことん寄り添うことを考えたら、飲食業は親和性が高い。何しろ、パンが焼ける匂いがするまちは素敵だと私は思うんです」(同氏)。
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「トイット」の取り組みは、2020年のグッドデザイン賞において、「グッドデザイン・ベスト100」を受賞していた。審査委員からは、販売完了に伴いまちとのかかわりがなくなっとしまうのが常の不動産開発事業において、今回の取り組みは新たな存在意義となること、そして日常を彩るよりどころとして、交流の場として機能している点が評価されたという。
以前このコラムで、「入居者専用食堂」を開設した不動産会社の取り組みを紹介したが、そちらも同賞を受賞し、さらに入居者と事業者との関係にもさまざまな変化を与えていた。
不動産事業と飲食事業が融合することで、今後どのような“化学反応”が起きるのか。期待したい。(NO)