マレーシアの首都クアラルンプールで繁華街といえば、大通り「ブキッ・ビンタン」や、超高層タワー「ペトロナス・ツイン・タワーズ」のあるKLCCエリアだ。どちらも、オフィスビルや世界のハイブランドの路面店、高級コンドミニアムが立ち並ぶ華やかな街並みとなっている。
クアラルンプールの始まりは中華街
クアラルンプールの始まりの地は、ブキッ・ビンタンから西へ直線距離で約1.5kmに位置する、通称「ペタリンスストリート(Petaling Street)」と呼ばれる現在の中華街周辺だ。イギリス統治下にあった1850年頃、マレーシアで錫(すず)鉱脈が発見され、中国から商売人や労働者がやってきて定住したことが始まりとされている。
このような経緯から、中華街周辺は現在もクアラルンプール市内で最も古い街並みが残っているエリアとして知られている。一方で、地元民の生活感にあふれているため、若い世代にとって魅力のある場所ではなかった。
廃墟化が進む「ショップハウス」
マレーシアの商店街は「ショップハウス」と呼ばれる独特の形状となっている。1階が店舗、2階が住居の店舗兼住居がつながってできており、これは一説によると建築資材を節約するためであったといわれている。中華街の中心ペタリンストリート沿いにもこのようなショップハウスが続いていて、商店や問屋だけではなく、町工場、飲食店、旅行会社などさまざまな業種が集まり、大変にぎやかなコミュニティを築いていた。
しかし1980年代以降、家賃の高騰と錫鉱山の廃坑などによりペタリンストリートは勢いを失い、人口が流出。無人化したショップハウスは廃墟化し、商店街は廃れ、治安や衛生面の悪化が懸念されるようになった。
マレーシア版レトロブームと再開発の波
ところが2010年頃から、市内の一等地にありながら朽ちていく一方の商店街が再び注目を集めている。写真系SNSの若いインフルエンサーたちが、外観やどこか懐かしさが感じられる街並みの写真をアップしたことがきっかけともいわれている。かろうじて残っている祖父母世代の商店や建築などが次々と話題を呼んだ。
17年には、完成すると高さ約656mで中東ドバイにあるブルジュハリファに次いで世界で2番目に高い建築となる「ムルデカ118(Merdeka PNB118/Warisan Merdeka Tower)」の建設が始まった。同タワーは中華街から徒歩5分の場所に位置し、エリア一帯が再開発され、再び注目が集まり始めた。その頃から、ショップハウスの外観を生かし、内観を現代風にしたカフェやバーがオープンし始めた。時が止まったままのショップハウスと流行の最先端を行く飲食店が混在した風景は、テーマパークのような非日常さが見え隠れする魅力がある。
1960年代の怪しげな路地裏が“映え”スポットに
この流れをさらに加速させたのが19年にオープンした「クワイチャンホン(Kwai Chang Hong)」だ。5人の地元起業家が荒廃したパンガン路地(Lorong Panggung)に当時の様子を復元した観光スポットである。かつては麻薬が取引され、娼館、賭博場があり怪しげな人々が闊歩していたといわれるいわくつきの場所だった路地裏が、1960年代の日常を描いたウォールアートがあふれる「SNS映えスポット」となった。
実は表通りに並ぶバーやカフェなど飲食店の裏口は、「クワイチャンホン(Kwai Chang Hong)」につながっていて行き来することができる。実際に通り抜けるとまるで現代から過去へとタイムスリップをしたような感覚になる。廃れた商店街をスクラップアンドビルドするのではなく、新旧の魅力を共存させることで変身した中華街には、今や若い世代だけではなく海外からの旅行者にとっても、昼夜問わず「訪れるべき」魅力的な観光スポットとなっている。
なお、マレーシアのリサーチ会社によると、2,423sqft(約225㎡)のペタリンストリート周辺の戦前のショップハウスの市場価格は、2007年7月は280万リンギット(約8600万円)だったが、15年2月には680万リンギット(約2億1000万円)にまで上昇しているという。
逗子 マリナ
海外在住歴はアメリカ3年半、オーストラリア4年。2016年からマレーシア在住。日本のメディア・企業向けにリサーチ、現地情報収集、観光情報、国際展示会等の取材で幅広く活動中。「地球の歩き方の歩き方webクアラルンプール特派員」。「海外書き人クラブ」会員。