賃貸住宅オーナーの取り組みを探る Part.21
今も昔も、「属性が特殊」なユーザーは、賃貸住宅への入居が難しい。創作活動を生業とする「アーティスト」も例外ではない。何かと気難しいイメージが付きまとい、オーナーからは他の入居者とトラブルを起こすのではないかと危惧される。アーティスト側からしても、創作活動にマッチする(広さやスペック等の)賃貸住宅は皆無に等しいのが現状だ。今回紹介するオーナーは、自身の経験も踏まえ、アーティストが思う存分創作活動に没頭できる「アーティスト専用」の賃貸住宅を作り上げた。
想像以上に大変なアーティストの家探し
賃貸オーナーの本田晴彦氏(69)は、20代の頃から創作活動を手掛けてきた美術作家。10年前、都内にある賃貸アパート「芙蓉荘」(4室)を相続し、アーティストのための賃貸住宅にしたいと考えた。築40年超ゆえ建て替えも検討したが、供給過剰気味の賃貸市場で差別化が難しいと思いとどまる。そうした折、物件を管理する管理会社(ハウスメイトパートナーズ(株))が、本田オーナーと話し合う中で「アーティスト向けのDIY賃貸にリノベーションしてはどうか」と提案。同氏も快諾した。
本田氏自身、アーティストの家探しがどれだけ大変であるか経験してきた。「大学を卒業すると、制作活動に使える場所が無くなってしまった。仕方がないので、アーティスト仲間数人と東京郊外の山奥にある廃工場を丸ごと借り切った」という同氏。その後も、自分の家を手に入れるまで、様々な住まいを転々とした。「私自身、美術に関係ある仕事をしてきたので、アトリエを欲しがっているアーティストがどれだけ多いか知っている。アトリエが無いために作品制作を放棄してしまった者も知っている。23区内でアトリエ付き住宅を探すのは、とくに難しい(自身や作品を“売り出す”ためには、プロモーションに便利な都内居住のほうが圧倒的に有利:記者注)」(本田氏)。
一般的にアーティストという言葉には「気難しそう」「付き合いずらい」「社会常識が通じない」というイメージが付きまとう。一般的な賃貸オーナーからすれば、「部屋を汚されないか」「他の住人とトラブルにならないか」と、躊躇したくなるのもわからなくはない(同氏が最初に住んだ廃工場が、アーティストの間で未だに住み継がれていることからも、“言われなき差別”は続いていることがわかる)。
だが、令和の世の中、アーティストも変わった。「今のアーティストは、昔のように絵画や彫刻を作るだけではない。立体作家や造形作家と呼ばれるアーティストは、本当に様々な素材を使う。場合によってはパソコンひとつで事足りる。実際、マンガ作家やイラストレーターの多くは、パソコンで創作している」(同氏)。物音ひとつ立てず、昼夜パソコンで黙々と制作に没頭するアーティストが、トラブルを引きおこせるはずもない。
住まい探しが大変なのは、アーティスト側の事情もある。創作内容によりけりではあるが、絵画や彫刻といった制作活動には、ある程度の「空間」は必要だ。制作過程で床や壁が汚れることもあるし、壁や天井に作品を架ける必要も出てくる。「デスクワーク」や「日常生活」のスペースも要る。これでは、ありきたりの間取りの賃貸住宅では対応できない。
この両者のニーズにマッチする解決策が「DIY賃貸」だ。オーナーは使い勝手のいい「空間」を用意し、室内の設えは入居者自身が整える。入居者も、創作活動による汚損に、さほど気を遣う必要もない。「何もないアトリエが一番使いやすいので、あとは入居者が自分で作って加えればいい。私自身の経験から、床・壁・天井・電気・水道等、こんなアトリエだったら使いやすいという考えはあったが、不特定多数のアーティストのため、その最大公約数を目指した」(同氏)。こうした本田氏の考えをもとに、アーティストのためのDIY賃貸住戸は誕生した。
こだわり満載の空間はオーナー自ら仕上げ
芙蓉荘は、東京都北区の住宅街、地下鉄駅から十数分にある、鉄骨造2階建てのアパート。既存の住民がいるため、空室だった2階の1戸(和室二間の2K、専有面積約30平方メートル)をDIY住戸としてリノベーションした。
内装をフルスケルトンにしたうえで、床はコンパネ(下地材)むき出し、一番大きな壁面は合板を重ね張りしてして、大きなキャンバス等を架けるため、釘やねじをしっかり打ち込めるようにした。天井を抜いたことで、屋根裏までの高さも2,800mm確保(その代わり、夏場対策で屋根に遮熱塗料を塗った)。作品や工具類を吊るせるよう、鉄骨の梁もむき出しのままだ。少しでも広い空間を提供するため、ユニットバスは止め、シャワーブースのみ。窓際にはシンプルなカウンターテーブル。工具類が自在に使えるよう、部屋の至る所にコンセントも設置されている。
アーティスト本田氏の「こだわり」も色濃く反映した。まずは「キッチン」にはシンクが2つ。バケツが丸ごと入るほど深いステンレス製の大型シンクには蛇腹のホースが付き、部材で詰まることがないよう、排水トラップも大型だ。壁の合板は、一般的な住宅で用いる3×6サイズ(910mm×1,820mm)ではなく3×8(910mm×2,420mm)を使った。「壁に絵を架けて離れて見るとき、3×6サイズだとちょうど目の高さに継ぎ目がくる。絵を描く者にとって目の高さの模様は邪魔。継ぎ目のラインが目線を遮らないようにした」(同氏)。
リノベ施工中の室内を内見に来た同氏。ふと床を見ると、コンパネとコンパネにすき間が。3日かけ自らパテ埋めした。「床にすき間があると、小さくて高価な工具類を落とした時、入り込んでしまう」(同氏)。釘ねじ打たれる覚悟の合板壁も、汚されること覚悟のコンパネ床も、アーティストの創作活動に支障があってはならないという同氏の思いやり。それ故に、たとえアーティスト以外のユーザーが入居を希望しても、思い切って排除していこうと決めたという。
入居者もオーナーの意図を瞬時に見抜く
同氏の思い入れ一杯のDIY住戸に21年12月から入居しているのが、水口麟太郎さん(27)だ。パリ留学中にアーティスト活動を開始。グルーガン(樹脂や熱で変形しやすいプラスチックを溶かし接着するツール)や立体書道、反射光アートなど様々な媒体の組み合わせた作品を制作している気鋭の若手アーティスト。パリから帰国後は自宅で制作活動を行なっていたが「広さが足りない」「オンオフの切り替えができない」ことを理由に、都内でアトリエ付きの住宅を探していたところ、芙蓉荘に出会った。アーティスト専用に設えられた室内と、本田オーナーの心意気にも触れ、即座に入居を決断した。
「私の意図を瞬時に理解してくれたのは驚きだった。モノを作る人はみんな同じことを考えているのだなという思いを強くした」と本田オーナーも感激したという。
入居から約半年、水口さんは「アーティストのためのDIY賃貸」を完璧に使いこなしていた。梁の真下、部屋の中央に置かれた作業台から合板張りの壁までが、制作活動の主たるスペース。鉄骨の梁は、グルーガンやその他の工具を使うための電源コードを渡した。カウンターテーブルは、パソコン作業や3Dプリンターの加工場所だ。合板の壁は、もちろん作品を架けてチェックするのに使っている。
「制作活動と暮らす場所はきちんと分けたい」(水口氏)との思いから、天井に取り付けたカーテンでプライベート空間を確保している(制作時の粉塵等を居住スペースに入れないためでもある)。床には電気カーペットが敷かれ、テーブルとソファが置かれていた。屋根の梁は、仕事とプライベートを分かつ境界であるとともに「洗濯物を干し、運動不足解消のための懸垂場所(笑)」(同氏)だという。
本田氏肝いりの深型シンクは、もちろん重宝しているほか「十分な距離をとって作品をチェックできる壁」や「温度と湿度管理がきちんとできるエアコンと換気扇」も高く評価している。水口さんが制作に使うエポキシ樹脂は温度変化に対してとてもデリケートであり、作品の出来不出来に直結するため、とくに後者には感謝しているそうだ。
アーティストの部屋というと部材や工具が散らかり放題というイメージがあるが、水口さんの部屋はむしろ、一般的な若者の部屋以上に綺麗だ。モノを作る人は、モノ(部屋)も大事にするようだ。
日本の「アーティスト イン レジデンス」目指して
本田氏は、他の入居者が退去したタイミングで同様にリノベーションし、ゆくゆくは芙蓉荘をまるごとアーティストのための賃貸とする予定だ。だが一方で、「アーティストがコミュニティの中心となる賃貸住宅も悪くはない」とも感じている。
6月のある日、水口氏の隣に住む高齢女性の具合が悪くなり、警察や民生委員が安否確認に来る騒ぎに。その様子に気づいた同氏はすぐ管理会社に連絡、事なきを得た。その後も、遠方から駆け付けた女性の親族と管理会社の間を取り持つなどサポートした。
自宅が仕事場のアーティストと違い、一般のサラリーマンや学生は自宅に居る時間は短いし、隣住戸に気を配る人も少ない。「水口さんは、制作活動で迷惑がかかるかもしれないと、事前に住民すべてに挨拶回りもしてくれていた。そのため、隣に高齢女性が住んでいることも知っていた。本当にありがたかった」(本田氏)。
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同氏は、欧米で定着している「アーティスト イン レジデンス」(国内外のアーティストをアトリエ付き住戸に住まわせ、作品の買い上げや展示等で支援する)が日本でも必要だと訴える。水口氏との賃貸借契約書には「退去時に作品をひとつ残していくこと」が特約に入っている。芙蓉荘を歴代アーティストの作品で彩り、近隣の商店街等で紹介していきたいと考えている。
「作品を売る、買うことも文化を育てることだが、“作品をつくる環境をつくる”というのもまた、文化事業であるという考えが重要だ」(同氏)。