「記者の目」更新しました
「そのとき、まちが消えた」の記事を更新しました。
東日本大震災が発生して1ヵ月。津波の被害として多く報道された「宮城県気仙沼市」に記者が入りました。
足を踏み入れる前は不動産業界誌の記者として「建物の被害状況を克明に伝えること」を理念とし、ある意味そういった状況を淡々と伝えることを想定してしたといいます。しかし、一歩、中心地に足を踏み入れた途端その思いは打ち砕かれることに…。
そのあまりの“爪痕”は、「まち」があったことさえもわからなくなるような状態で、記者は震えが止まらなかったといいます。住宅の基礎は根こそぎもぎ取られ、アパートの鉄骨は飴のように曲がる…、また、たった数mの高低差で被害状況が大幅に異なってもいました。
そのなかでもその地を愛する住民、救援する自衛隊、そして不動産会社は一歩ずつ復興のために前進していました。「まちのため、被災者のため歩みを止める訳にはいかない」と語る不動産会社社長の笑顔は、何物にも変えがたいものだったといいます。
首都圏はもちろん、被災地でも少しずつ日常を取り戻しはじめている場所もあります。しかし、余震も続く不安な中、いまだ「死と隣り合わせ」の状態から、立ち上がろうとしている人たちがたくさんいます。
震災から1ヵ月経ったこの日に、改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を捧げるとともに、被災地の一刻も早い復興をお祈りしたいと思います-黙祷。