韓国ソウルに若者が集まる町工場街がある。韓国最大の繁華街「明洞」に隣接する「乙支路3街(ウルチロサムガ)」だ。通りを挟んだ北側は水回りを中心とした内装業者や工具店が軒を連ねる工具街で再開発が進んでいる。
南側は韓国有数の印刷団地だ。刷版工場、印刷工場、製本、型抜き、製箱など狭い路地に小さな工場が所狭しと並んでいる。大半が工場主と従業員1人、2人の零細で作業場と呼ぶ方がしっくりくる。
朝早くから印刷機の音が鳴り響き、日がな一日、印刷用紙や印刷材料を積んだトラックやフォークリフトと三輪バイク、原稿やサンプルを携えた人たち、仕上がった印刷物を納品するトラック、バン、バイク便など忙しなく行き来する。トラックやフォークリフトが路地を塞ぐことがあっても「住民」は黙って待つ。同業同士お互い様というわけだ。
そんな町工場街が変わり始めたのは2018年頃である。若者向けのおしゃれなカフェが誕生するとSNSで広がった。看板もない小さなカフェで、印刷工場を思わせる外観とおしゃれな内装のミスマッチが受けたのか、行列ができる人気店になる。以降、技術者の高齢化と印刷不況で廃業した工場が次々とカフェやレストランに様変わりしていった。
かくして平日昼は町工場街、週末は若者の街という二面性を持つようになったが、若者の増加と合わせて廃工場レストランやカフェが増殖。平日夜も若者で溢れる街になっていった。
好立地ながら低家賃
乙支路3街は「明洞」から地下鉄1駅、徒歩でも10分ほどの位置にある。明洞は2004年以降、21年にわたって韓国の地価公示額トップを維持してきた。2024年の平米当たり地価公示を見ると1位から8位を明洞が占めている。その高い地価によって引き上げられた高額な家賃がレストランやカフェのメニューにも反映されている。
乙支路3街は古い建物が密集しているからだろう。好立地の割には家賃が安い。明洞と乙支路3街の似たような路地裏の賃貸物件を比較すると、敷金に相当する保証金は8倍から10倍、月々の家賃は3倍前後の開きがある。開業資金はもちろん運転資金も少なくて済む。メニュー価格はソウル全体から見ると高めだが、明洞よりわずかに安い。明洞をウィンドウショッピングで訪れた際の食事や休憩やちょうど良い街になったのだ。
ソウルの中の日本
コロナパンデミックの収束以後、乙支路3街にさらなる変化が現れた。日本式居酒屋の急増だ。韓国で「深夜食堂」や「孤独のグルメ」が人気となった15年頃から構えを日本風に造作した居酒屋がソウル各所に登場した。日本の建築を見慣れた目には違和感しかなかったが、乙支路の日本家屋は「本物」だ。少しの補修で済むのである。日本風に拘りすぎて屋外看板のハングル表記が小さすぎると指導を受けた店もある。いまや日本街として定着しつつある。
乙支路3街は日本との関係が深い。室町時代には漢城(現ソウル)を訪れた幕府の使者や商人が滞在したし、日本が朝鮮を統治した時代の日本人居住区だった。室町時代の面影は「倭館洞」という古い地名と石碑だけだが、昭和初期の日本家屋はそこかしこに残っている。団地全体が日本製機械で生計を立てていることもあり、日本や日本人には好意的だ。
工場街の変化を「住民」はどう感じているだろうか。
筆者はソウルで起業した2012年から在宅勤務に移行するまで団地内に事務所を構えていた元住民で、いまも仕事で月数回は訪れる。団地のトラックが道を塞いでもお互い様と割り切るし、道を譲るが、団地外の車や若者が道を塞ぐ光景を目にすると業務への支障を懸念する。同時に苦楽を味わった街がシャッター街になるよりマシという思いもある。複雑な心境なのである。
佐々木 和義
広告コピーライター兼フォトグラファー
建築写真出身カメラマンから写真を学んだ後、広告会社で国土交通省、自治体、住宅・不動産会社、観光施設等の広告企画を担当。2009年、韓国に進出する食品会社のマーケティング担当役員として渡韓。駐在契約が満了した2012年、ソウルで日韓ビジネス専門広告会社を創業し現在に至る。ライフワークは韓国に遺る日本建築の撮影。宅建合格者。
NewsWeekJapanライター、世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員